昔、自転車屋さんだった松下幸之助さんが、小さな「豆電球」を工夫して生み出し、やがて照明を作り、
そして最終的には「パナソニック」という世界的な企業を築いたという話。

私はこの話を聞くたびに、胸の奥がじんわりとあたたかくなります。
なぜなら、彼が「目の前のことを全力でやった」その姿に、どこか自分の人生を重ねてしまうから。


私は17歳の時に頭を強く打ち、高次脳機能障害となりました。
中でも、重度の記憶障害を抱えながら生きてきました。

信じられないかもしれませんが、本当に「視線を少し動かすだけ」で、
たった今まで覚えていたことが跡形もなく消えてしまうという経験を、
毎日、何十回、何百回と繰り返してきたのです。


だから私は、**「今、目の前にあること」**に、全神経を集中させてきました。
まるで、その瞬間に命の糸をつなぐように。
記憶が消えてしまわないように、
今の感覚を、言葉を、相手の表情を、必死に心に焼きつけようとしてきました。

たとえば、普通の人が「話をしながら次のことを考える」ことができるのに対して、
私は「話しながら記憶を維持する」だけで全力でした。
一瞬一瞬が勝負だったんです。
ただその場にいるだけでも、魂の全力を注いでいました。


そんな私にとって、松下幸之助さんの「豆電球を作った」というエピソードは、
とても象徴的に感じられます。
あの小さな豆電球が、後に世界中を照らす光の始まりだったように、
「今この瞬間」に集中する私の小さな努力も、きっと未来へと続いている。
そんなふうに思えるのです。


スピリチュアルの視点から見ると…

魂は、「この人生で体験したいこと」を選んで生まれてきます。
たとえ記憶を保つことができないような困難を持っていても、
そこにこそ、自分自身と深く出会う旅があるのです。

私の魂は、もしかしたらこう言っているかもしれません。

「瞬間に生きることを学びたい」
「一歩一歩を大切にする尊さを知りたい」
「何も持たずとも、全てを感じるということを体験したい」と。


脳科学や心理学の視点で見ると…

私のように記憶の保持が難しい脳の状態では、
脳が「今」に集中するしかない状態になります。

それは逆に、マインドフルネスの究極の形かもしれません。
過去を思い出すことも、未来を想像することも難しい。
だから、私は常に「今」にいる。
この「今」に、すべてがある。


鏡の法則と「ある」の視点から…

目の前のことに全力を注ぐとき、
そこに映る世界は、いつも真っすぐで、優しい。
誰かにバカにされたこともある。
できない自分が悔しかったこともある。

でもそのたびに、「それでも自分は一生懸命だった」と胸を張って言えるように、
ただただ、今ここにあるものを、見つめ続けてきました。

そうしていると、見えてくるんです。
「できることは、ちゃんとある」って。


もしかしたら、あなたの中にもあるかもしれません。
言葉にできない小さな努力。
人に見せていないけれど、毎日続けている小さな挑戦。

それは、誰にも気づかれない豆電球のようなものかもしれません。
でも、その光は、きっと誰かの未来を照らしています。
そう、私が自分の人生で証明してきたように。

だから今日も、目の前のことを全力で。
それだけで、あなたの魂はちゃんと光っているから。