【タイトル】

すべてはひとつだった ―梨泰院クラスと、ワンネスの世界―


梨泰院クラスを見ていて、ふと思った。
登場人物たちは、まったくバラバラに見えていた。
正反対の価値観。対立。嫉妬。愛。裏切り。

でも物語が進むにつれ、
それぞれの“痛み”や“願い”が繋がっていることに気づかされていく。

それはまるで、ワンネスの世界に気づいていく魂たちの記憶のようでした。


■ 分離は幻想だった

最初、パク・セロイは父の死という悲しみと不条理の中で、
「敵」と「味方」をはっきりと線引きしていた。

けれど、そこに関わる人たちはみんな、
それぞれの正義と痛みを抱えて生きていた。

敵に見える人も、
実は「恐れ」や「寂しさ」に突き動かされていたり。
冷たい人に見えたヒョニも、
内側には“誰にも触れられなかった傷”があったり。

セロイが人を許していく過程は、
「世界を統合していく過程」にも見えた。

それはまさに、
“分離”から“ひとつ”へ戻る、魂の進化。


■ 他人の中に、自分を見つける

イソの強さは、僕の中の強がりを映し出し、
グンウォンの怒りは、僕の中の未熟な叫びを代弁していた。

ヒョニの沈黙は、僕が隠していた本音であり、
セロイの信念は、僕がかつて信じたまなざしだった。

それぞれのキャラクターが、
まるで僕の“内面の断片”のように思えた。

そう、目の前の誰かは、私自身だった。

それは「鏡の法則」でもあり、
「ワンネス」の体験でもあった。

誰かを受け入れることは、
自分自身を抱きしめ直すこと。

梨泰院クラスの登場人物たちは、
僕の心の中にあるさまざまな“自分”を代弁していた。


■ ワンネスの世界とは、「許し」の連鎖

物語の終盤、セロイは父を奪った相手を許す。
イソは自分の弱さを受け入れ、
ヒョニは「私は私」と声に出せるようになる。

そこに共通していたのは、
「許し」のエネルギー。

誰かを許すということは、
自分の中にあった“分離”を手放すこと。

ワンネスの世界では、
加害者も被害者も、強さも弱さも、
全部ひとつの存在が演じていたことに気づく。

僕もまた、
自分の障害を「敵」のように思っていた過去があった。
でも今は、それさえも**「ありがとう」と言える存在**になった。


■ どんな物語も、「ひとつ」へ還るためのプロセス

人生はバラバラに見えて、
すべてが「ひとつ」に向かっている。

悲しみも、怒りも、挫折も、孤独も、
全部が「愛を知るための道のり」だった。

僕の高次脳機能障害という体験も、
すべては“分離から統合へ”と向かう魂の旅だったのかもしれない。

そして今、
「すべてはひとつだった」と思える世界の中で、
ようやく安心して深呼吸できるようになった。


【結び】

あなたと私は、違って見えて、同じひとつの光

梨泰院クラスという物語は、
誰もがバラバラに見えて、
実はすべての登場人物が、
ひとつの大きな“愛の物語”を紡いでいた。

まるで宇宙が、
それぞれの魂に役割を与え、
一つの真実へと導いていたかのように。

それは、僕たちの人生も同じ。

あなたの苦しみも、私の痛みも、
誰かの怒りも、誰かの不器用さも、
すべてが「ひとつの愛」から始まり、
また「ひとつの愛」へと還っていく。


私たちは、すでにひとつだった。
それを思い出す旅が、人生なのかもしれません。