下の子が幼稚園に入り
自分の時間ができてから、アメブロを始めたニコ


理由は書くことで、自分の気持ちを浄化したり
誰かとやりとりできたりしたらいいなと。


最初は自分の不妊治療の経験や
トラブルばかりだった妊娠や出産のことなど
自分のことを振り返っていた。

その出来事が書き終わったあとは
自分の事やその時その時吐き出したい事を
書いていたのだけど…


いつの頃からか、書くことで浄化していた事が
本当に心のダメージが大きい事は
書いて浄化することが出来なくなってた…

カウンセリングに通っていた時にも
先生から、書くことで気持ちを整理して
方向転換していく方法を教わったのにショボーン


このブログで本当に書きたいと思ってる事は
まだ書けていない…
それが義実家の事なんだけど。

他の人のブログで義実家の話を見ていると
本当に考えられないような義父母や義姉妹がいて
うちの事なんて大した事ないのかもしれない。
とも思う…


でも、書いて吐き出したいのに
なぜか躊躇してしまう自分がいる。

義実家の事以外にも、現在進行形で
親戚とのトラブルがあり、それも吐き出したい。


なぜ今まで書いて吐き出せていた事が
できなくなったんだろう…


いつからかと考えた時に思い浮かんだのは
父が亡くなってからかもしれない。


私は出産してからずっと
育児日記をつけている。
最近は1行2行と、大した事は書いてないが
それでも8年ずっと続けている。

だけど、1ヶ月ほど空白の期間がある。
それが父が亡くなってからの1ヶ月だ…


過去ブログにも書いたけれど
父が亡くなる2ヶ月前に、下の子ゆぅが
34週で破水し、早産で産まれてしまった。

1ヶ月ほどNICUに入り、MRIをとった。
その時に告げられた
脳に異常が認められ、障害が出る可能性の指摘。


あの時は本当につらくて
1人になると、泣いてばかりいた。
早産さえしなければ
こんな事にはならなかったのではと自分も責めた。

それでも障害児を育ててきた両親は
「お父さんもお母さんも、全力で支えるから。」
と心強い言葉をかけてくれた。


不安と絶望の中で、NICUを退院したゆぅとの
新しい生活が始まった。
退院してからも、1週間に1回は病院へ…

そんな中、父は必ず「心配だから。」と
付き添いをしてくれた。
長い待ち時間
父はずっとゆぅを抱っこしてくれていた。

他にもるぅの面倒や
何かあればすぐ駆けつけてくれた。
夫が出張で、夜どうしても困った時は
枕持参で泊まりに来てくれたっけ…


それなのに、ゆぅが2ヶ月の時
脳幹出血であっという間に逝ってしまった。

ゆぅの障害の事も受け止めきれていないのに
父の死まで受け止めなければいけない状態に
私の心は壊れる寸前だった。

妊娠出産では、父にも心労をかけっぱなしで
父のことも私のせいだと思ってしまった。


一時は本当に辛くて
それでも子育ては待ってくれないから
必死にやってきた。

一番寄り添って欲しかった夫の
無神経な発言に心底傷ついた時もあったな悲しい

本当なら塞ぎこんで何もしたくないもやもや
そう思いながらも毎日を何とかやり過ごして
少しずつ立ち直ってきたつもり。

奇跡のように、ゆぅの障害の可能性が
大きく減ったことに関しては
本当に私の心を救ってくれた。


それから、だいぶ立ち直ったと思ってた。


でも、父が亡くなったことで訪れた色々な変化。

それが義実家や親戚と揉めることになった。
その事で私は、腸が煮えくりかえる思いや
悔しさをイヤという程味わった。

そして、それらはまだ解決を迎えることなく
私の中に暗い闇を落としてる。


それらを吐き出したいのに
向き合おうとすると、逃げ出したくなる。
思い出すと、様々な感情や怒りがこみ上げて
発狂してしまいそうになる。

自分の中で乗り越えられないことに
蓋をしている感覚。


蓋をしたままで穏やかにいられるなら
そのままでいいのかもしれない。
でも時々、何かの拍子に蓋が開きそうになると
みるみる気持ちが沈んでいく…

この繰り返しがとても苦しい。

蓋をあけて向き合えたら何かかわるのかな。
昔みたいに、つらい事はつらい
怒りは怒りとして吐き出せる事が
できるようになればなぁと思う。

心の準備ができたら
アメ限にて書いてみようかと思う。

その時もし興味がありましたら
申請よろしくお願いします。