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永久機関と君と⑥
しかし、ヨンの幸せな時間は束の間で日も置かずにウンスから連絡が来たかと思えば、何と“チェヨン”には海外に住む恋人がいるのではないかと言って来た。
呆然と放心したヨンを一瞥し、冷たい眼差しのウンスは去って行ってしまった。
近くにいたチャンビンも慌ててチェヨンの身辺を調べると“恋人”らしき人物は確かにいた様で彼が交通事故を起こした原因のきっかけでもあった。
しかも、何とその女性の名前は“メヒ”という。
「メヒだって?!」
そんな馬鹿なと放心し、ヨンは沈む様にソファーに座っていく。
チャンビンも遙か昔の記憶の中に彼と関わる人としてその名前は知っていた。
しかし、今は時代も違うし、世界もまたあの時考えていたより広い。
それでも、出会う人は出会う。
自分とヨンの様に。
その“メヒ”もまた時代が変わってもチェヨンと出会う運命だったのだろうと思った。
それがウンスより早かったという事。
ただ、今のヨンとしては頭の中にその女性は既に無く、ウンスだけを占めていた筈が微かに残る過去の女性に呆然と放心してしまった。
――と、いう所だろうか?
「・・・調べるとチェヨンが事故前に一度メールを送ったきり、こちらに返信はありません。電話も無い様でした」
「・・・つまり?」
「はたして恋人と言えるのか?半年もチェヨンに連絡しないなんて・・・別れていたのならそうなりますが・・・」
「・・・」
少し前にとある女性を見かけ、調べている様だったがそれはメヒの事だったのか?
彼女に声を掛け様としていた?
しかし、ヨンの考えにチャンビンは否定をする。
「それより以前からメヒさんとは連絡を取り合っています。同じ会社内の会話もありますから、私に聞いて来た“女性”とは違うのでは?」
チャンビンの言葉にヨンは無意識に肩に力が入っていた事を知りはぁと息を吐いた。
メヒの事は調べなければならないが、どうやらチェヨンはまた別の女性を気にしていた様だ。
――それがユウンスであって欲しいと思う。
自分はもう他に興味がいく事は無いだろう。
そして、メヒにも――。
帰宅早々フンッと荒くカバンを置き、着ていた服も投げ捨てウンスは浴室に入って行った。
「あー、馬鹿みたい!いつもいつも寄って来る男はこんな奴らばかり。誰かが私に呪いでも掛けているの?ふざけないで欲しいわ!」
勢いよく出始めたシャワーを浴びながら文句を吐き出す。
もう数年前から不満を吐く為の場所になってしまった浴室だが、独身で一人暮らしなのだから何ら問題は無い。
本当は外でだって吐き出そうと思えば出来る。しかし、自分は江南総合病院の一医者であり大病院の看板を背負っている、大学時代の様に自由気ままにとはいかないとちゃんと理解しているつもりだ。
働くという事は何らかしら我慢を強いられる。
それが年々酷くなっていく事もウンスはわかっていた。
今だに男性優位の社会で女性が上に文句でも言うものなら、「だったら辞めれば良い」の言葉をチラつかせ、いよいよ学会にさえ連れて行って貰えない環境にかなり前からウンスは辟易していた。
「やっぱり国際医療展示会が終わったら、独立を考えてみよう・・・。
まだ自分のクリニックで苦しむ方がましかもしれないわ・・・はぁ」
これからクリニックを経営していくとなると、もしかしたら一生独身かもしれない。
人生設計など立ててはいなかったが、その中での結婚、出産は生涯無くなり、1つまた1つ犠牲にしてでも夢を追いかける意味とは一体何?
――と、沈んでいく気持ちに濡れた身体のままがくりと肩を落としたのだった――。
・・・あれ?
私、彼氏なんていないわよね?
傍で囁く男性など知る訳も無い。
普通に返事をしたが、これはおかしい。
パチリと目を開け肩越しに背後を振り返ったが、
当然ベッドには誰もいなかった。
「・・・え、また?嘘でしょう〜?」
あの男性の夢を見るとウンスには悪い事しかおきない。
あの後の先輩への恋は裏切りという形で散々な末路だった。
医者になり、初めて見るかもしれない。
気のせいだろうか?
徐々に男性との距離が縮まってきている気がする。
あの手を伸ばして来た男性なのか?
今だ顔は見えないが声はずっと変わらない様にも見える。
朝になると人物もどんな夢かもぼんやりで記憶にも残らないのだが。
・・・・・あれ?
ウンスは寝返り天井に視線を向けた。
最近あの奇妙な空気を感じた様な気がするんだけど。
昔から嫌いだった考古学や博物館の独特の雰囲気。あの薄暗く重苦しい空気と大学時代の事故で更にそんな場所に足を向ける事は無くなった筈なのに・・・。
嫌な事があると昔の嫌な思い出まで蘇ってしまうのかな?
――本当、いい加減にして欲しいわ!!
講演会が終わり、ウンスは後片付けをしながら今日出展している企業ブースを思い出していた。
縫合糸等も見えるギリギリの細さまで研究されている。美容整形では最新情報は本当にありがたいと先程渡されたパンフレットを手にし、さてとカバンを肩に掛けたが――。
「あの、ユウンスさんですか?」
「はい?」
振り返ると長い黒髪がよく似合うスタイルの良い女性がこちらを見ていた。
美しい唇の口角を上げ優しく微笑んでいるが、何故か好意的には見えない――。
――え、誰?
馬車というには質素な造りに最早慣れたウンスはそれに乗り荒い道を走らせていた。
何故か自分は狙われる運命なのだろうか?
はたまたこの時代にそぐわない人間なのか?
何度そんな事を考えそれでも大丈夫、私には彼がいるのだからと奮い立たせて来た――。
「・・・何て事なの・・・っ」
再び戻ったこの時代に彼はいなく、更に100年前に来てしまった事を知ったのは数日経ってからだった。
通り過ぎる旅人にここは高麗ではないのかと尋ねると、険しい表情を返され、
「高麗だって?あんた頭でも打ったのか?もしや貢女か?」
と睨んで来た。
そんな訳ないと怒鳴り返すとウンスの怒気に気圧された旅人は簡単にだが年号と場所を教えてくれ、更に自分も高麗に帰る途中だという事で無理矢理着いて行った。
けしてその旅人にも安心は出来なかったが、ウンスが鋭い刃物を懐に隠している事と彼には国の境に家族が迎えに来ていた事が幸運だったのだろう。
旅人の妻は小さい子と産まれたばかりの赤子を抱いて迎えていたが、夫の後から女人が着いて来た事に違う国で女を作って来たのかと怒り出し即座にウンスが間に入り説明を始めた。
ウンスには愛する人がいる事、彼の怪我を治す為に医療道具を取りに行ったが道に迷った事を話すと道具とウンスの服を眺めその旅人と家族は漸く納得しウンスも一緒に連れて行ってくれるという。
彼らは国境の山の麓(ふもと)で小さな畑を耕し川魚を取り細々と生活をしていた。
しかし、その暮らしは裕福とは程遠く寒い季節になると夫は直ぐ近くの国境を越え出稼ぎに行くという事だった。
「今向こうでは鉱山業が盛んなんだ。雇い主達はお互い競い合って鉱床を広げ鉱石を掘っている。働き手が多ければ多い程自分に入る財は増えるのだから、他所の国の者だって雇ってくれるのさ」
土木事業に必要な鉱石や土を沢山締める者が王宮から詔勅が頂ける。国の許可が降りれば更に土地を拡大させ収益が増やせると、雇い主達は国内外から働き手を募集しているのだという。
自分達の手元に残る禄は少ないが無いよりはマシだと夫は言い、だが仕送りを引けば自分が暮らすのは大変とも言う。
小さい子や赤子の為に働いているが、本当は自分の国で働きたいとも寂しそうに話していた。
ウンスは帰り際見つけた近くの空き家を聞くと家族の祖父母が昔使っていたという。
「・・・あの、お家を貸して頂けませんか?」
空き家を直し小さな薬草屋を作りたいと頭を下げ言うウンスにそんな技術が女人にあるのかと夫婦は渋ったが、ウンスが一時王宮の医院にいたと話すと見た目もあってか戸惑いながらもそれ以上は否定をしなかった。
暫くして藁屋根を修理し、質素だが小さな囲い塀を周りにも作って貰った。
「ありがとうございます。これだけあれば充分です」
「まぁ、こんな古い家だから住代は取らんよ。それに何かあったら呼びに来ればいい。でも、この地も安全とは言えないから、気を付けるんだぞ」
旅人家族の家とはそんなに離れてもいない。
ここに何年もいるつもりはないが、何時天門が開くとも今は言えない。
またこの時代で1人になってしまった。
だけど、もう“孤独”とはならないわ。
懐にしまっているのはメスだけでは無いもの・・・。
ウンスは唯一ヨンがくれた懐剣を強く握り締めたのだった――。