恋をするのは難しく・・・③
朝から天候が悪く昼頃になるとぽつりぽつりと小雨が降り出してきた。
診療所に来る者も少なくなり暇を持て余したウンスは、王宮へと往診に行ってしまったチャン侍医の留守番がてら資料の整理を始めた。
とはいえ、格好良く言えばそうだが、如何せんウンスは漢字が苦手であり手に持っている資料さえ何が書いてあるのかもわかっていない。
「人参、茯苓(ぶくりょう)、柴胡(さいこ)・・・人参敗毒散?・・・熱、頭痛、寒気、咳や痰を静め・・・風邪の症状よね?あれ?さっきも似た様な文見たわよ?あー・・・もうっ」
丁寧に書かれた説明文の中で見知った漢字だけで必死に解読していたウンスだったが、とうとう紙を置き机に突っ伏した。
「代わりに整理しておきます、だなんて言わなきゃ良かった。皆同じ意味に見えちゃう!」
この時代は漢方医学のみでウンスはある意味大学時代に戻ったかの様に毎日見る物、扱う物を覚えるので必死だった。
それでもそんなウンスの様子を見てチャン侍医は、
「“診断四法”と言い主に【見る、聞く、診る、訊く】です。
ですが医仙は【術る】が出来ます故、私より秀才です」
と褒め称えてくれた。
男性からの賛辞など現代ではあまり受けた事は無い。
この時代でも女性が男性より上位にいる事は無いだろう。だからなのか、そんな一言でさえウンスのやる気を向上させるには充分だった。
――そんな気持ちでいたからかな?
気分が良けりゃあ気も大きくなる。
普段しない事まで考えてしまい、あんな話を出してしまったのだ。
チャン侍医で止めておけば良かった。
意味がわかる人もいるのね、なんて楽しんだ自分が悪い。
所詮は恋愛ノウハウもろくに学んでいなかった堅物女なのに、世界が変われば自分も変わる・・・訳が無かったな・・・。
雨も止まず、おそらく煉り(ねり)場の火も起こし難くなっている筈だろう。片付けが始まっているかもしれない。
手伝いに向かう為に診察所を出て行くと雨の中外に出て来たウンスに薬員達は驚いて戸惑い始めた。
「医仙様の御手を借りる訳にはいきませんよ!」
「だってチャン先生まだ戻って来ていないのでしょう?いいわよ、多い方が直ぐ片付けられるんだから」
「そんな王様の客人の方に・・・」
「ほら、話してる間に手を動かす!」
「はい!」
チャン侍医とは違う空気だが、ピシリと発するウンスの声に困惑気味だった薬員達は慌てて動き出し搗い(つい)ていた薬材や挽い(ひい)ていた粉末などを撤去し始め、ウンスも同じく忙しなく動き出したのだった。
往診に向かったチャン侍医は王妃を診た後、次の康安殿に入って行くとそこには珍しくヨンがおり今の所大人しくしている徳成府院君キチョルの対策を練っていた。
チャン侍医の姿に王様とヨンは話はここまでと切り上げ、ヨンが場所を譲る様に椅子から立ち上がったが何故か部屋から出てはいかず、壁側へと避けて行った。
「?」
チャン侍医は不思議に思うも、腕を出して来た王様に直ぐ様意識を脈診へと向けていった――。
「チャン侍医」
「はい?」
康安殿を後にしたチャン侍医は背後から掛けられた声に振り返る。やはり、そこにいたのは先程からずっと近くにいたヨンのものだった。
「何か?」
「いや・・・」
「・・・」
――実は数日前から少し空気が変わったのだが、はたして彼は気付いただろうか?
数日前。
珍しい酒や久しぶりに行った市井で蓄積された疲れが取れたのは自分だけでは無く、ウンスも王宮では出さない愚痴や女官から聞いたという話などを手振りしながら話している。
そんな話の合間、ウンスはそういえばと切り出した。
「薬員さんや女官の子から聞いたんだけど、チェヨンさんてモテるのねぇ」
「もて?」
「人気がある、注目を浴びる人て事よ」
「そうですね」
ウンスの言葉にチャン侍医は素直に頷いた。
チェ家の家柄もだが特殊な力もまた珍しいのは確かで、数年前から彼の動向は注目を浴びていた。
彼が以前いた赤月隊は既に無いが、では内功を極めた者は皆無かというとそうではない筈だ。だが、あれから王政は赤月隊の様な集団を作る気は無いとチェヨンを迂達赤(ウダルチ)隊に入れた段階で決めているのだろう。
そんな思惑はもう彼も気付いている。
故に彼から二度と赤月隊の話は出なかった。
気付けば7年経った。
何時の間にか無愛想な隊長の棘が薄くなったのは――この方が来てからか。
チャン侍医が空になった酒杯に酒を継ぎ足すとウンスは話を止めクルリと大きな目を向けてきた。
「医仙もどうぞ」
「ありがとう!でね、この間聞いたんだけど、あの隊長さん結構色々な女性から告白されているの?」
「こくはく?」
「想いを伝える・・・好きです、付き合って、慕っています」
「慕う・・・あぁ、それですか。見た事はありませんが隊士達の話では多いとか」
チャン侍医はヨンの周りに女人がいるのを見た事が無い。まず宮殿内で彼に近付く女人など武閣氏しかおらず、武閣氏の子らはヨンを畏怖の眼差しで見ている者が多い為自ら話す訳でも無い。
――だとしたら、妓楼か町中だろう。
「女官は王様の使いです。ですのでそれは市井での話でしょう」
「市井・・・ここか」
何を考えたのか口元をへの字に曲げウンスは店の入口を睨み付け、チャン侍医はその視線を追うと丁度店前を華やかな着物を着た若い娘が歩いて行った。
ゆっくり視線を戻しウンスを見るとまだ入口を睨んでいる。
「・・・あの様に華美な女人も隊長は苦手かと」
「わからないわよ、あんな女性から迫られたら・・・」
――女人が?男に?妓生以外にそんな事があるのか?
ウンスの謎な言葉にチャン侍医の首が無意識に捻られていく。
そんなチャン侍医に構わずウンスはぶつぶつと独り言を呟きだし――、
「隊長に聞いてみようかしら?」
「何をです?」
「“珍しいお酒”の話」
「はぁ」
あれか、とチャン侍医は酒杯を口に運ぶ。
あの隊長はきっと、
「こんなに貧しい国なのに、酒に珍しいや高価など意味があるのか?」
そう言うだろう。
しかし、少なからずウンスがチェヨンに対し距離を縮めようとしているのなら・・・。
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