世界の誰も出会っていない1000000通りのレシピ
グレイスフルスイーツだと、甘味料も油も今後もっと幅広く
組合わせていくのが自然な流れになってくると思います。
甘味料も夏期の8種類くらいは使います。使おうと思えばもっと種類はありますので
油も、現状は菜種油主体ですが、植物性のオイルの可能性はこれから開けてくると思います。
粉自体もざっと数種類は選択肢があるわけです。
しかも甘味料や粉は一つを単体で使うのではなく組み合わせて使うこともできるので
甘味料と油と粉の3つの組み合わせだけでも選択肢としては簡単に100万を超えてきます。
実際さらにグレイスフルスイーツでは、塩もセレクトしていきますので塩が増えると
レシピのヴァリエーションは1000万を超えてきます。
僕らはその100000万分の1のレシピすら出会っていないわけで
世界にはクッキーだけでも出会っていないレシピなんて数えきれないほどの数があって
もちろんその組み合わせの全てが美味しいわけではないけど
その中に時々、奇跡的な配合があったりする。
グレイスフルスイーツスクールでお伝えしたいのは、
バターや卵、生クリーム等を使えないと美味しいお菓子はできないのではなく、
植物性の原材料だけでも、可能性は無限にあるということなのです。
これほど甘いものが溢れている時代においてもまだ
世界の誰も食べていない組み合わせが天文学的な数字として確実にあるということ。
甘いものが好き。って言葉では物足りない。
21世紀は、私はショ糖系(さとうきび、甜菜糖)、デキストリン系(米飴とか)
果糖系(フルーツ)といった、甘味そのものの違いすら楽しむようになっていくんじゃないかなって
【甘味料】
メープルシロップ
アガベシロップ
米飴
玄米甘酒
りんごジュース
甜菜糖シロップ
玄米水飴
オレンジジュース
【油】
菜種サラダ油
アーモンドオイル
オリーブオイル
ウォルナッツオイル
ピーナッツオイル
グレープシードオイル
【小麦&米粉】
アリサン
ムソー
スーパーヴァイオレット
クーヘン
ヴィーナス
エペ
特宝笠
リファリーヌ
組合わせていくのが自然な流れになってくると思います。
甘味料も夏期の8種類くらいは使います。使おうと思えばもっと種類はありますので
油も、現状は菜種油主体ですが、植物性のオイルの可能性はこれから開けてくると思います。
粉自体もざっと数種類は選択肢があるわけです。
しかも甘味料や粉は一つを単体で使うのではなく組み合わせて使うこともできるので
甘味料と油と粉の3つの組み合わせだけでも選択肢としては簡単に100万を超えてきます。
実際さらにグレイスフルスイーツでは、塩もセレクトしていきますので塩が増えると
レシピのヴァリエーションは1000万を超えてきます。
僕らはその100000万分の1のレシピすら出会っていないわけで
世界にはクッキーだけでも出会っていないレシピなんて数えきれないほどの数があって
もちろんその組み合わせの全てが美味しいわけではないけど
その中に時々、奇跡的な配合があったりする。
グレイスフルスイーツスクールでお伝えしたいのは、
バターや卵、生クリーム等を使えないと美味しいお菓子はできないのではなく、
植物性の原材料だけでも、可能性は無限にあるということなのです。
これほど甘いものが溢れている時代においてもまだ
世界の誰も食べていない組み合わせが天文学的な数字として確実にあるということ。
甘いものが好き。って言葉では物足りない。
21世紀は、私はショ糖系(さとうきび、甜菜糖)、デキストリン系(米飴とか)
果糖系(フルーツ)といった、甘味そのものの違いすら楽しむようになっていくんじゃないかなって
【甘味料】
メープルシロップ
アガベシロップ
米飴
玄米甘酒
りんごジュース
甜菜糖シロップ
玄米水飴
オレンジジュース
【油】
菜種サラダ油
アーモンドオイル
オリーブオイル
ウォルナッツオイル
ピーナッツオイル
グレープシードオイル
【小麦&米粉】
アリサン
ムソー
スーパーヴァイオレット
クーヘン
ヴィーナス
エペ
特宝笠
リファリーヌ
美味しさと美しさと身体への優しさへの共存
お菓子。
美味しいがゆえに、身体にはあまりよくない。
そんな食べものとされてきた感があります。
もともと、人類にとっては甘いものは永遠の憧れであり
甘いものを自由にて入れられる世界は夢の世界でした。
戦争、奴隷、植民地、時代の盟主はもてる権力を駆使して
砂糖を手に入れ、その生産も増やしてきました。
そして20世紀、僕らは人類史上はじめて砂糖を浴びる程食べることができる
ようになった人類最初の世代です。
そして、砂糖のとりすぎなどが問題にされるようになったのも
人類史上はじめてのことです。
もともと一般庶民が砂糖を食べ過ぎて身体を壊す等ありえなかったからです。
中世 イギリスでは、当時「虫歯」はステータスでした。
なぜなら、虫歯ができるのは「甘いものをたくさん食べている」=「我が家はセレブ」だったからです
現代の私たちからみるとちょっと笑えますけど
虫歯にアクセサリーをつけて魅せ合っていたのです。本気で。
それを思えば現代は、お砂糖の付き合い方も随分進化したといえます。
わたしたちは、喜びを求めています。
より美味しいもの、より美しいもの、より健康に良いものを求める生き物です。
甘いものを減らせば良いなどと誰もが知っていても、甘いものへの夢はとどまることをしりません。
だから、今度は美しくて美味しいけど、よりヘルシーなものを求めるのです。
そして、僕らは甘いものとの付き合い方もよりレベルアップしていくでしょう。
美味しさと美しさと身体への優しさを共存させることができるお菓子も
きっと今の時代を経て未来の人々は、今よりもっと素敵に甘いものと幸福に暮らすはずです。
甘いものが手に入らなかった時代から見れば、今は甘いもので多くの人が幸福な時間を
過ごせる素敵な時代になっているのだと思います。
美しく美味しそうなデザートを目の前にしたときの女性(男性も)の輝いた表情は素敵なものです。
喜びのためだけに存在するお菓子を「罪悪感」を持って食べなければならないほど
お菓子にとっても人類にとっても哀しいことはありません。
だから、罪悪感から解放されるスイーツを創造できたらいいなとこのごろそう思うようになりました。
今、お店には小さなお子様が増えています。「アレルギー」という名のメッセージをもった未来の若者たちです。
アレルギーが増えることで、ご両親やご家族は時に言葉などではあらわせないほどの大変さがあるものだと思います。
これは一度、誰か統計をとってほしいなと思っているのですが、
家族に一人アレルギーの子供がいらっしゃる家庭の、成人病や三大疾患リスクは、
一般家庭と比べて低いと思います。一人の子供のもたらすメッセージによって
家族全員の未来の健康がガードされている場合はかなり多いと僕は思うのです。
そして、10年、15年、20年たったとき
生まれてから、一度も卵も乳製品も食べたことのない新しいパティシエがこの世界にあわられます。
メッセージをもって生まれてきた子供達が大人となり市民権を得て、新しい家族を創りだす時代がきたときに
彼らに未来のスイーツ(喜びの創造)を託したいと思います。
グレイスフルスイーツの描く未来のヴィジョン。
それは、人が今以上に甘いものとより高度に幸福につきあえているHAPPYな未来。
100万分突破した、もしドラ(もしも野球部のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら)
でこのごろさらに有名になった
偉大なピータードラッカーの問いで「お宅の事業はなんですか?」というものがあり
お店がオープンしてから1年半、ずっと考えてきました。
お菓子屋さんだから、「お菓子を売ること」が存在意義ではないということです。
僕らの仕事は、なにゆえに存在することができるのか。
それは、「グレイスフルスイーツというカタチで未来を感動的に体験してもらうこと」
であり「人類の誰も食べたことのない感動的なスイーツを創造すること」
世界で最も信頼される植物性スイーツの専門店であり
世界で初の植物性スイーツの製菓学校であり、
世界で最も歴史あるグレイスフルスイーツの研究開発機関。
このヴィジョンにたいして、共感して応援してくださる方々から支えられ穏やかに成長し
歴史を重ねていけることが僕らの使命なのだとこのごろ、一つの明確なカタチが見えてきたように思えます。
「お菓子の未来」 「今までのお菓子ではありえなかった感動」 この2つをテーマに
これから、12月まで、毎週、できるかぎり新作を発表してお届けしていきたいと思っています。
9月18日(土) Patisserie SMM初のかぼちゃタルト スイートパンプキン。
9月25日(土) かぼちゃ好きにはたまらない、パンプキンプリン
10月1日(土) 絞り出し系の新クッキー
お楽しみに。
美味しいがゆえに、身体にはあまりよくない。
そんな食べものとされてきた感があります。
もともと、人類にとっては甘いものは永遠の憧れであり
甘いものを自由にて入れられる世界は夢の世界でした。
戦争、奴隷、植民地、時代の盟主はもてる権力を駆使して
砂糖を手に入れ、その生産も増やしてきました。
そして20世紀、僕らは人類史上はじめて砂糖を浴びる程食べることができる
ようになった人類最初の世代です。
そして、砂糖のとりすぎなどが問題にされるようになったのも
人類史上はじめてのことです。
もともと一般庶民が砂糖を食べ過ぎて身体を壊す等ありえなかったからです。
中世 イギリスでは、当時「虫歯」はステータスでした。
なぜなら、虫歯ができるのは「甘いものをたくさん食べている」=「我が家はセレブ」だったからです
現代の私たちからみるとちょっと笑えますけど
虫歯にアクセサリーをつけて魅せ合っていたのです。本気で。
それを思えば現代は、お砂糖の付き合い方も随分進化したといえます。
わたしたちは、喜びを求めています。
より美味しいもの、より美しいもの、より健康に良いものを求める生き物です。
甘いものを減らせば良いなどと誰もが知っていても、甘いものへの夢はとどまることをしりません。
だから、今度は美しくて美味しいけど、よりヘルシーなものを求めるのです。
そして、僕らは甘いものとの付き合い方もよりレベルアップしていくでしょう。
美味しさと美しさと身体への優しさを共存させることができるお菓子も
きっと今の時代を経て未来の人々は、今よりもっと素敵に甘いものと幸福に暮らすはずです。
甘いものが手に入らなかった時代から見れば、今は甘いもので多くの人が幸福な時間を
過ごせる素敵な時代になっているのだと思います。
美しく美味しそうなデザートを目の前にしたときの女性(男性も)の輝いた表情は素敵なものです。
喜びのためだけに存在するお菓子を「罪悪感」を持って食べなければならないほど
お菓子にとっても人類にとっても哀しいことはありません。
だから、罪悪感から解放されるスイーツを創造できたらいいなとこのごろそう思うようになりました。
今、お店には小さなお子様が増えています。「アレルギー」という名のメッセージをもった未来の若者たちです。
アレルギーが増えることで、ご両親やご家族は時に言葉などではあらわせないほどの大変さがあるものだと思います。
これは一度、誰か統計をとってほしいなと思っているのですが、
家族に一人アレルギーの子供がいらっしゃる家庭の、成人病や三大疾患リスクは、
一般家庭と比べて低いと思います。一人の子供のもたらすメッセージによって
家族全員の未来の健康がガードされている場合はかなり多いと僕は思うのです。
そして、10年、15年、20年たったとき
生まれてから、一度も卵も乳製品も食べたことのない新しいパティシエがこの世界にあわられます。
メッセージをもって生まれてきた子供達が大人となり市民権を得て、新しい家族を創りだす時代がきたときに
彼らに未来のスイーツ(喜びの創造)を託したいと思います。
グレイスフルスイーツの描く未来のヴィジョン。
それは、人が今以上に甘いものとより高度に幸福につきあえているHAPPYな未来。
100万分突破した、もしドラ(もしも野球部のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら)
でこのごろさらに有名になった
偉大なピータードラッカーの問いで「お宅の事業はなんですか?」というものがあり
お店がオープンしてから1年半、ずっと考えてきました。
お菓子屋さんだから、「お菓子を売ること」が存在意義ではないということです。
僕らの仕事は、なにゆえに存在することができるのか。
それは、「グレイスフルスイーツというカタチで未来を感動的に体験してもらうこと」
であり「人類の誰も食べたことのない感動的なスイーツを創造すること」
世界で最も信頼される植物性スイーツの専門店であり
世界で初の植物性スイーツの製菓学校であり、
世界で最も歴史あるグレイスフルスイーツの研究開発機関。
このヴィジョンにたいして、共感して応援してくださる方々から支えられ穏やかに成長し
歴史を重ねていけることが僕らの使命なのだとこのごろ、一つの明確なカタチが見えてきたように思えます。
「お菓子の未来」 「今までのお菓子ではありえなかった感動」 この2つをテーマに
これから、12月まで、毎週、できるかぎり新作を発表してお届けしていきたいと思っています。
9月18日(土) Patisserie SMM初のかぼちゃタルト スイートパンプキン。
9月25日(土) かぼちゃ好きにはたまらない、パンプキンプリン
10月1日(土) 絞り出し系の新クッキー
お楽しみに。
スティーブ ジョブズ アップル社 CEO スタンフォード大学 スピーチ
アップル社のCEOのスティーブ ジョブズさんがスタンフォード大学で2005年に
卒業生にむけた演説です。
とても素敵なスピーチなので。転載させていただきました。
以下の3つのポイントがこのスピーチで重要かと思います。
●人生の点と点はいつか一つの線(人生の物語)として結びついていくことを
【信じること、今はつながりを感じられなくても】
●人生で本当に大切なことは、一生打ちこめるような大好きなことを見つけること
【信じること、今は見つかっていなくてもいつかきっと出会えると 妥協はダメ!】
● もっとも大切なのは、みずからの心や直感に従い、勇気を持って行動すること。
●「大学中退者」から「エリート大卒業生」に贈る言葉
本日は、世界でも指折りの大学の卒業式に同席できて大変に光栄です。
私は大学を卒業したことがないものですから、正直なところ、
今回がこれまでで卒業にもっとも近い体験なんです。
きょうは、みなさんに、私の人生から得た3つのお話をします。
最初の話は、点と点を結ぶということ。
私は、リード大学をたった半年で中退しています。
もっとも、正式に退学するまで、その後1年半も授業を受けていたんですが。
まずは、その中退のいきさつから話したいのですが、
それには私が誕生する前のエピソードからはじめなくてはなりません。
私の生みの親は、未婚の大学院生でした。
生まれたらすぐに私を養子に出すこと、そしてその相手は大卒の夫婦と決めていたそうです。
現に、弁護士夫婦が私を引き取ることになっていたのですが、
出産直前になって、女の子が欲しいと言い出したのだとか。
そこで、キャンセル待ちリストに載っていた別の夫婦に、
真夜中に電話がかかってきたというわけです。これが私の今の両親です。
ところが、母親は大学を出ていないし、父親に至っては高校も卒業していませんでした。
生みの母親は、あとでそれを知り、養子縁組の書類にサインを拒否してしまいます。
結局、2、3ヵ月ほどして、育ての親が、将来私を大学に行かせると約束。
やっと生みの母親も折れたのだそうです。
●【私が大学を中退した経緯】
その17年後、確かに私は大学に入学できました。
ところが、世間知らずなものだから、選んだのはスタンフォード並みに学費の高い大学。
労働者階級である親の貯えは、みるみるうちに学費に消えていきました。
私はといえば、半年も過ぎると、大学にいる意義を感じなくなっていました。
人生で何がやりたいのかもわからず、大学がどう役に立つのかもわからない。
ただ、親がこれまだ貯めてきた金を浪費するだけ。
それで中退を決めたんです。すべてがうまく行くと信じて。
もちろん、そのときは不安でした。でも、いま思うと、人生で最良の決断でしたね。
なにしろ、興味のない科目はもう受ける必要がないし、
おもしろそうな科目だけ聞くことができるのですから。
もっとも、「ロマン」とはほど遠い生活でした。
寮に自分の部屋がないから、寝るのは友人の部屋の床。
返却したコーラの瓶代5セントを食費にあてたり、
毎週日曜の夜に10kmも離れたハレクリシュナ寺院まで歩いて、
やっとウマい食事にありついたりといった日々が続きました。
とはいえ、このころ好奇心と直感にしたがって行動したことは、
金銭に変えられないほど貴重な経験となって、のちに生きてきます。
実例を1つあげてみましょう。
●【「出会い」と「縁」…この不思議なるもの】
当時、リード大学のカリグラフィ(書道)教育は、国内最高水準のものでした。
キャンパスを見ても、ポスターから引き出しのラベルまで、
美しい手書きの飾り文字で飾られていたんです。
そこで、試しにカリグラフィの授業をとってみようと思い立ちました。
どうせ私は退学したんですから、通常のクラスに出る必要はないですし。
私は、さまざまな書体を学び、文字の違いによって間隔を調整する方法を学び、
活字を美しく表現する方法を学びました。
まさにそれは、科学ではとらえることのできない芸術の世界。
すっかり私は魅せられてしまいました。
確かに、こんなことは、生きる上で役立ちそうもないように思うでしょう。
でも、その10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計するときになって、
すべてがよみがえってきたのです。
私は、かつて学んだカリグラフィを応用して、
美しい書体を備えた世界初のコンピュータ、マックを完成させたのです。
もし、私が大学であのコースに出なかったら、
マックには複数のフォントもプロポーショナルフォントも入っていなかったでしょう。
ウィンドウズがマックの真似であることを考えると、
おそらくいまだにそんな機能を持つパソコンは1台も現れなかったに違いありません。
中退しなければ、カリグラフィの授業には出なかった
--カリグラフィの授業に出なければ、美しい書体のパソコンはできなかった。
もちろん当時の私には、未来に先回りして、そうした点と点を結ぶことなど、
できるわけがありません。でも、10年たってから過去を振り返ってみると、
点と点のつながりは明らかです。
みなさんも、未来を先取りして点と点を結ぶことはできないでしょう。
でも、過去を振り返って点と点を結ぶことはできるはずです。
ですから、
いまはつながりがないことがらであっても、
将来は結ぶことができるかもしれない
それを信じてほしいんです。
勇気、運命、人生、宿命……何でもいい。
とにかく信じることです。
点と点が結ばれていくことを信じれば、
人生に失望することなんかありません。
それどころか、人生がまるで見違えるものになることでしょう。
●【人生の全てと信じたアップル社からの放逐】
さて、2番目の話は、愛と喪失についてです。
私が幸運だったのは、人生の早い段階で、
自分が打ち込める仕事を見つけたことでしょう。
実家のガレージで、ウォズ(スティーブ・ウォズニアック)といっしょに
アップルをはじめたのは、20歳のときでした。
そして懸命に働いた結果、10年後には従業員4,000人以上、
売上高20億ドルの企業に成長。最高の作品であるマッキントッシュを発表することになります。
しかし、そのたった1年後、30歳になったとたんに、私は会社をクビになってしまいました。
自分が設立した会社をクビになるなんて、おかしな話でしょう。
実は、こういうことなんです。
アップル社の拡大にともなって、私は会社を任せられる有能な人間を雇いました。
確かに、最初の1年ほどはうまくいったのですが、
じきに将来のビジョンについて意見が分かれてしまいました。
結局、取締役会も彼に味方し、私は30歳で会社を追い出され、
社会的にも落ちこぼれてしまったわけです。
社会人としての人生すべてを賭けたものが、まるでなくなったのですから、
それはひどく打ちのめされました。
2、3ヵ月間は、どうしたらいいのか本当にわかりませんでした。
自分のために、前世代の起業家の業績をおとしめてしまった--
手渡されたリレーのバトンを落としたように感じたのです。
ひどいヘマをやらかしたお詫びをしようと、
デイヴィッド・パッカード(HPの共同創業者の1人)と
ボブ・ノイス(インテルの共同創業者の1人)にも会いました。
シリコンヴァレーから逃げ出そうとも考えたほどです。
でも、そんななかに、少しずつ明かりが射してきました。
私は、自分が打ち込んできた仕事を、まだまだ愛していることに気づいたのです。
アップルでの出来事があっても、その気持ちは少しも変わりませんでした。
つれなくされても、やっぱり愛しているんです。
そこで、もう一度やり直すことに決めました。
■大きな幸運は不幸の仮面をつけてやってくる
そのときは気がつきませんでしたが、のちになって、
アップルをクビになったことは、人生で最良の出来事だとわかってきました。
「成功者」としての重圧は消え、再び初心者の気軽さが戻ってきました。
おかげで、私の人生でも、このうえなく創造的な時代を迎えることができたのです。
その後の5年間に、ネクスト(NeXT)という会社を立ち上げ、
続いてピクサー(Pixer)という会社を設立し、
素晴らしい女性にめぐりあいました――今の妻ですけどね。
のちにピクサーは、世界初のコンピュータ・アニメ映画「トイ・ストーリー」を制作。
世界最高のアニメーション・スタジオになりました。
その後、事は意外な方向に進み、ネクストはアップルに買収され、
私はアップルに戻ることになりました。
そして、私たちがネクストで培った技術は、アップル再生の中心的な役割を果たしています。
一方、妻ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を築いてきたというわけです。
それにしても確かなのは、アップルをクビになっていなければ、
こうした出来事は1つとして起きなかったということです。
口に苦い薬でしたが、病人には必要だったんでしょう。
人生には、時にレンガで頭をガツンとやられることがあるものです。
でも、信念を失ってはいけません。
私がここまで続けられたのは、
自分のやっていることが好きだったからにほかなりません。
みなさんも、自分が打ち込めるもの――
愛するものを見つけ出してほしいのです。
これは、仕事でも恋愛でも同じこと。
みなさんの人生において、
仕事は大きな割合を占めることになるでしょう。
そこで本当に満足感を味わいたければ、
素晴らしいと信じる仕事をする以外にありません。
そして、素晴らしい仕事をするには、
自分の仕事を愛することにつきるのです。
まだ、そんな仕事は見つかっていないというならば、
探し続けてください。妥協は禁物です。
見つかればピンとくるはずですよ。
そして、愛する仕事というのは、
素晴らしい人間関係と同じで、
年を経るごとに自分を高めてくれるのです。
ですから、探し続けてください。妥協してはいけません。
■人生の締め切りが設定されたらどうするか
3番目の話は、死についてです。
17歳のとき、こんな言葉を本で読みました。
「毎日を、人生最後の日だと思って生きなさい。
そうすれば、いつか必ずその通りになる日が来るでしょう」
これには強烈な印象を受けました。
それ以来33年間、毎朝私は鏡に向かって自問自答してきました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、本当に今日のスケジュールでいいのか?」
「ノー」と答える日が長く続くと、私は「何かを変えなくてはならない」と考え始めます。
死を目前にした自分を想像することは、
人生の大きな選択をする際に、ずいぶんと役に立ちました。
というのも、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなんて、
死に直面したらバッと消え去ってしまいます。
残るのは、本当に重要なことだけ。
また、自分もいつかは死ぬんだと想像すれば、
「自分には失いたくないものがある」なんていう思い違いをしなくて済みます。
みなさんには、失うべきものは何もないのです。
心のおもむくままに生きて、何も悪いことはありません。
1年ほど前、私の体にガンが見つかりました。
検査の結果、すい臓にはっきりと腫瘍が映っていたんです。
それまでは、すい臓が何であるかも知らなかったのに。
医者の言うには、これは治療ができないガンにほぼ間違いない。
余命は3ヵ月から、よくて半年。
そして、家に帰ってやるべきことを済ませなさいとアドバイスしてくれました。
つまり、死に支度をしろというわけです。ということは、
今後10年間かけて子どもたちに伝えようとしたことを、たったの2、3ヵ月で言えということです。
家族が心安らかに暮らせるよう、引き継ぎをしろということです。
要するに、別れを告げてこいということです。
その日の夕方、生体検査を受けました。
喉から内視鏡を入れ、胃から腸に通し、すい臓に針を刺して腫瘍の細胞をとってきたのです。
あとで妻から聞いた話によれば、医師が顕微鏡で細胞を覗いたとたん、叫び声を上げたのだとか。
というのも、すい臓ガンにしてはごく珍しく、手術で治せるタイプのものだとわかったからなんです。
こうして私は手術を受け、いまでは元気になりました。
これまでの生涯のなかで、私がもっとも死に近づいた瞬間といっていいでしょうね。
できれば、あと何10年かは、これ以上近づきたくないものです。
こんな経験をしたもので、以前よりもちょっと自信をもって言えるんですが、
死というのは有用でかつ純粋に知的な概念なんです。
ちょっと、わかりやすく説明しましょう。
誰も死にたいと思っている人はいません。
天国に行きたいと願っている人はいますが、
そのために死のうとは思っていないでしょう。
でも、それでいて、死というのは私たち誰もが向かう終着点でもあります。
死を免れた人なんていません。
それにはわけがあります。「死」というのは、「生」による唯一で最高の発明だからです。
死によって、古いものが消え去り、新しいもののために道が開けるのです。
いまの時点で、新しいものとは、みなさんのことです。
でも、遠からず、みなさんもだんだんと古くなり、消え去っていくでしょう。
ちょっと重苦しい話ですみません。でも、本当のことなんですよ。
みなさんの時間には限りがあります。
自分らしくない人生を過ごして、
ムダにする暇なんかありません。
■他人の教義に身を委ねるな、内なる声に忠実であれ
決まった教義なんかにとらわれてはいけません。
それは、ほかの人が考えた結果を生きていくに過ぎないことだからです。
他人の意見という騒音に、
みなさんの心の声がかき消されないようにしてください。
もっとも大切なのは、
みずからの心や直感に従い、
勇気を持って行動することです。
心や直感というものは、みなさんが本当に望んでいる姿を、すでに知っているのです。
私が若かったころ、「The Whole Earth Catalog」(全地球カタログ)という、
それはそれはスゴい本がありました。
私たちの世代では、バイブルのような扱いでした。
ステュアート・ブランドという人が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、
独特の詩的なタッチで、いきいきとした誌面が展開されていました。
1960年代の終わりですから、パソコンもDTPもありません。
タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られていたんです。
いってみれば、グーグルのペーパーバック版という感じでしょうか。
理想に燃えた誌面からは、素敵なツールと高邁な信念があふれていました。
ステュアートとそのチームは、「The Whole Earth Catalog」の版を数回重ね、
一通りのことをやってしまったところで、最終版を発行しました。
1970年代の半ば。私が、みなさんの年ごろだったときです。
最終版の裏表紙は、朝早い田舎道の写真。ヒッチハイクの経験がある人ならば、
一度は目にしたような風景です。
写真の下には、こんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay Hungry. Stay Foolish.)」
それが、彼らの別れのメッセージだったのです。
ハングリーであれ、愚かであれ--それ以来、私はいつもそうありたいと願ってきました。
そしていま、卒業を迎えて新しい人生に向かうみなさんに、私は望みたい。
ハングリーであれ、愚かであれ。
SAFTY JAPAN 2005
スティーブ・ジョブズ氏に学ぶ
【仕事の意義・人生の意味】
~スタンフォード大学卒業祝賀スピーチより~
(翻訳/ニ村 高史) より転載
英語で原文で読める方はこちら。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
tanford Report, June 14, 2005
'You've got to find what you love,' Jobs says
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
My second story is about love and loss.
I was lucky ― I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation ― the Macintosh ― a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me ― I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.
This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ― which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay Hungry. Stay Foolish.
Thank you all very much.
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This is the text of the Commencement address by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, delivered on June 12, 2005.
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スタンフォード大学ホームページより転載
卒業生にむけた演説です。
とても素敵なスピーチなので。転載させていただきました。
以下の3つのポイントがこのスピーチで重要かと思います。
●人生の点と点はいつか一つの線(人生の物語)として結びついていくことを
【信じること、今はつながりを感じられなくても】
●人生で本当に大切なことは、一生打ちこめるような大好きなことを見つけること
【信じること、今は見つかっていなくてもいつかきっと出会えると 妥協はダメ!】
● もっとも大切なのは、みずからの心や直感に従い、勇気を持って行動すること。
●「大学中退者」から「エリート大卒業生」に贈る言葉
本日は、世界でも指折りの大学の卒業式に同席できて大変に光栄です。
私は大学を卒業したことがないものですから、正直なところ、
今回がこれまでで卒業にもっとも近い体験なんです。
きょうは、みなさんに、私の人生から得た3つのお話をします。
最初の話は、点と点を結ぶということ。
私は、リード大学をたった半年で中退しています。
もっとも、正式に退学するまで、その後1年半も授業を受けていたんですが。
まずは、その中退のいきさつから話したいのですが、
それには私が誕生する前のエピソードからはじめなくてはなりません。
私の生みの親は、未婚の大学院生でした。
生まれたらすぐに私を養子に出すこと、そしてその相手は大卒の夫婦と決めていたそうです。
現に、弁護士夫婦が私を引き取ることになっていたのですが、
出産直前になって、女の子が欲しいと言い出したのだとか。
そこで、キャンセル待ちリストに載っていた別の夫婦に、
真夜中に電話がかかってきたというわけです。これが私の今の両親です。
ところが、母親は大学を出ていないし、父親に至っては高校も卒業していませんでした。
生みの母親は、あとでそれを知り、養子縁組の書類にサインを拒否してしまいます。
結局、2、3ヵ月ほどして、育ての親が、将来私を大学に行かせると約束。
やっと生みの母親も折れたのだそうです。
●【私が大学を中退した経緯】
その17年後、確かに私は大学に入学できました。
ところが、世間知らずなものだから、選んだのはスタンフォード並みに学費の高い大学。
労働者階級である親の貯えは、みるみるうちに学費に消えていきました。
私はといえば、半年も過ぎると、大学にいる意義を感じなくなっていました。
人生で何がやりたいのかもわからず、大学がどう役に立つのかもわからない。
ただ、親がこれまだ貯めてきた金を浪費するだけ。
それで中退を決めたんです。すべてがうまく行くと信じて。
もちろん、そのときは不安でした。でも、いま思うと、人生で最良の決断でしたね。
なにしろ、興味のない科目はもう受ける必要がないし、
おもしろそうな科目だけ聞くことができるのですから。
もっとも、「ロマン」とはほど遠い生活でした。
寮に自分の部屋がないから、寝るのは友人の部屋の床。
返却したコーラの瓶代5セントを食費にあてたり、
毎週日曜の夜に10kmも離れたハレクリシュナ寺院まで歩いて、
やっとウマい食事にありついたりといった日々が続きました。
とはいえ、このころ好奇心と直感にしたがって行動したことは、
金銭に変えられないほど貴重な経験となって、のちに生きてきます。
実例を1つあげてみましょう。
●【「出会い」と「縁」…この不思議なるもの】
当時、リード大学のカリグラフィ(書道)教育は、国内最高水準のものでした。
キャンパスを見ても、ポスターから引き出しのラベルまで、
美しい手書きの飾り文字で飾られていたんです。
そこで、試しにカリグラフィの授業をとってみようと思い立ちました。
どうせ私は退学したんですから、通常のクラスに出る必要はないですし。
私は、さまざまな書体を学び、文字の違いによって間隔を調整する方法を学び、
活字を美しく表現する方法を学びました。
まさにそれは、科学ではとらえることのできない芸術の世界。
すっかり私は魅せられてしまいました。
確かに、こんなことは、生きる上で役立ちそうもないように思うでしょう。
でも、その10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計するときになって、
すべてがよみがえってきたのです。
私は、かつて学んだカリグラフィを応用して、
美しい書体を備えた世界初のコンピュータ、マックを完成させたのです。
もし、私が大学であのコースに出なかったら、
マックには複数のフォントもプロポーショナルフォントも入っていなかったでしょう。
ウィンドウズがマックの真似であることを考えると、
おそらくいまだにそんな機能を持つパソコンは1台も現れなかったに違いありません。
中退しなければ、カリグラフィの授業には出なかった
--カリグラフィの授業に出なければ、美しい書体のパソコンはできなかった。
もちろん当時の私には、未来に先回りして、そうした点と点を結ぶことなど、
できるわけがありません。でも、10年たってから過去を振り返ってみると、
点と点のつながりは明らかです。
みなさんも、未来を先取りして点と点を結ぶことはできないでしょう。
でも、過去を振り返って点と点を結ぶことはできるはずです。
ですから、
いまはつながりがないことがらであっても、
将来は結ぶことができるかもしれない
それを信じてほしいんです。
勇気、運命、人生、宿命……何でもいい。
とにかく信じることです。
点と点が結ばれていくことを信じれば、
人生に失望することなんかありません。
それどころか、人生がまるで見違えるものになることでしょう。
●【人生の全てと信じたアップル社からの放逐】
さて、2番目の話は、愛と喪失についてです。
私が幸運だったのは、人生の早い段階で、
自分が打ち込める仕事を見つけたことでしょう。
実家のガレージで、ウォズ(スティーブ・ウォズニアック)といっしょに
アップルをはじめたのは、20歳のときでした。
そして懸命に働いた結果、10年後には従業員4,000人以上、
売上高20億ドルの企業に成長。最高の作品であるマッキントッシュを発表することになります。
しかし、そのたった1年後、30歳になったとたんに、私は会社をクビになってしまいました。
自分が設立した会社をクビになるなんて、おかしな話でしょう。
実は、こういうことなんです。
アップル社の拡大にともなって、私は会社を任せられる有能な人間を雇いました。
確かに、最初の1年ほどはうまくいったのですが、
じきに将来のビジョンについて意見が分かれてしまいました。
結局、取締役会も彼に味方し、私は30歳で会社を追い出され、
社会的にも落ちこぼれてしまったわけです。
社会人としての人生すべてを賭けたものが、まるでなくなったのですから、
それはひどく打ちのめされました。
2、3ヵ月間は、どうしたらいいのか本当にわかりませんでした。
自分のために、前世代の起業家の業績をおとしめてしまった--
手渡されたリレーのバトンを落としたように感じたのです。
ひどいヘマをやらかしたお詫びをしようと、
デイヴィッド・パッカード(HPの共同創業者の1人)と
ボブ・ノイス(インテルの共同創業者の1人)にも会いました。
シリコンヴァレーから逃げ出そうとも考えたほどです。
でも、そんななかに、少しずつ明かりが射してきました。
私は、自分が打ち込んできた仕事を、まだまだ愛していることに気づいたのです。
アップルでの出来事があっても、その気持ちは少しも変わりませんでした。
つれなくされても、やっぱり愛しているんです。
そこで、もう一度やり直すことに決めました。
■大きな幸運は不幸の仮面をつけてやってくる
そのときは気がつきませんでしたが、のちになって、
アップルをクビになったことは、人生で最良の出来事だとわかってきました。
「成功者」としての重圧は消え、再び初心者の気軽さが戻ってきました。
おかげで、私の人生でも、このうえなく創造的な時代を迎えることができたのです。
その後の5年間に、ネクスト(NeXT)という会社を立ち上げ、
続いてピクサー(Pixer)という会社を設立し、
素晴らしい女性にめぐりあいました――今の妻ですけどね。
のちにピクサーは、世界初のコンピュータ・アニメ映画「トイ・ストーリー」を制作。
世界最高のアニメーション・スタジオになりました。
その後、事は意外な方向に進み、ネクストはアップルに買収され、
私はアップルに戻ることになりました。
そして、私たちがネクストで培った技術は、アップル再生の中心的な役割を果たしています。
一方、妻ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を築いてきたというわけです。
それにしても確かなのは、アップルをクビになっていなければ、
こうした出来事は1つとして起きなかったということです。
口に苦い薬でしたが、病人には必要だったんでしょう。
人生には、時にレンガで頭をガツンとやられることがあるものです。
でも、信念を失ってはいけません。
私がここまで続けられたのは、
自分のやっていることが好きだったからにほかなりません。
みなさんも、自分が打ち込めるもの――
愛するものを見つけ出してほしいのです。
これは、仕事でも恋愛でも同じこと。
みなさんの人生において、
仕事は大きな割合を占めることになるでしょう。
そこで本当に満足感を味わいたければ、
素晴らしいと信じる仕事をする以外にありません。
そして、素晴らしい仕事をするには、
自分の仕事を愛することにつきるのです。
まだ、そんな仕事は見つかっていないというならば、
探し続けてください。妥協は禁物です。
見つかればピンとくるはずですよ。
そして、愛する仕事というのは、
素晴らしい人間関係と同じで、
年を経るごとに自分を高めてくれるのです。
ですから、探し続けてください。妥協してはいけません。
■人生の締め切りが設定されたらどうするか
3番目の話は、死についてです。
17歳のとき、こんな言葉を本で読みました。
「毎日を、人生最後の日だと思って生きなさい。
そうすれば、いつか必ずその通りになる日が来るでしょう」
これには強烈な印象を受けました。
それ以来33年間、毎朝私は鏡に向かって自問自答してきました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、本当に今日のスケジュールでいいのか?」
「ノー」と答える日が長く続くと、私は「何かを変えなくてはならない」と考え始めます。
死を目前にした自分を想像することは、
人生の大きな選択をする際に、ずいぶんと役に立ちました。
というのも、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなんて、
死に直面したらバッと消え去ってしまいます。
残るのは、本当に重要なことだけ。
また、自分もいつかは死ぬんだと想像すれば、
「自分には失いたくないものがある」なんていう思い違いをしなくて済みます。
みなさんには、失うべきものは何もないのです。
心のおもむくままに生きて、何も悪いことはありません。
1年ほど前、私の体にガンが見つかりました。
検査の結果、すい臓にはっきりと腫瘍が映っていたんです。
それまでは、すい臓が何であるかも知らなかったのに。
医者の言うには、これは治療ができないガンにほぼ間違いない。
余命は3ヵ月から、よくて半年。
そして、家に帰ってやるべきことを済ませなさいとアドバイスしてくれました。
つまり、死に支度をしろというわけです。ということは、
今後10年間かけて子どもたちに伝えようとしたことを、たったの2、3ヵ月で言えということです。
家族が心安らかに暮らせるよう、引き継ぎをしろということです。
要するに、別れを告げてこいということです。
その日の夕方、生体検査を受けました。
喉から内視鏡を入れ、胃から腸に通し、すい臓に針を刺して腫瘍の細胞をとってきたのです。
あとで妻から聞いた話によれば、医師が顕微鏡で細胞を覗いたとたん、叫び声を上げたのだとか。
というのも、すい臓ガンにしてはごく珍しく、手術で治せるタイプのものだとわかったからなんです。
こうして私は手術を受け、いまでは元気になりました。
これまでの生涯のなかで、私がもっとも死に近づいた瞬間といっていいでしょうね。
できれば、あと何10年かは、これ以上近づきたくないものです。
こんな経験をしたもので、以前よりもちょっと自信をもって言えるんですが、
死というのは有用でかつ純粋に知的な概念なんです。
ちょっと、わかりやすく説明しましょう。
誰も死にたいと思っている人はいません。
天国に行きたいと願っている人はいますが、
そのために死のうとは思っていないでしょう。
でも、それでいて、死というのは私たち誰もが向かう終着点でもあります。
死を免れた人なんていません。
それにはわけがあります。「死」というのは、「生」による唯一で最高の発明だからです。
死によって、古いものが消え去り、新しいもののために道が開けるのです。
いまの時点で、新しいものとは、みなさんのことです。
でも、遠からず、みなさんもだんだんと古くなり、消え去っていくでしょう。
ちょっと重苦しい話ですみません。でも、本当のことなんですよ。
みなさんの時間には限りがあります。
自分らしくない人生を過ごして、
ムダにする暇なんかありません。
■他人の教義に身を委ねるな、内なる声に忠実であれ
決まった教義なんかにとらわれてはいけません。
それは、ほかの人が考えた結果を生きていくに過ぎないことだからです。
他人の意見という騒音に、
みなさんの心の声がかき消されないようにしてください。
もっとも大切なのは、
みずからの心や直感に従い、
勇気を持って行動することです。
心や直感というものは、みなさんが本当に望んでいる姿を、すでに知っているのです。
私が若かったころ、「The Whole Earth Catalog」(全地球カタログ)という、
それはそれはスゴい本がありました。
私たちの世代では、バイブルのような扱いでした。
ステュアート・ブランドという人が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、
独特の詩的なタッチで、いきいきとした誌面が展開されていました。
1960年代の終わりですから、パソコンもDTPもありません。
タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られていたんです。
いってみれば、グーグルのペーパーバック版という感じでしょうか。
理想に燃えた誌面からは、素敵なツールと高邁な信念があふれていました。
ステュアートとそのチームは、「The Whole Earth Catalog」の版を数回重ね、
一通りのことをやってしまったところで、最終版を発行しました。
1970年代の半ば。私が、みなさんの年ごろだったときです。
最終版の裏表紙は、朝早い田舎道の写真。ヒッチハイクの経験がある人ならば、
一度は目にしたような風景です。
写真の下には、こんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay Hungry. Stay Foolish.)」
それが、彼らの別れのメッセージだったのです。
ハングリーであれ、愚かであれ--それ以来、私はいつもそうありたいと願ってきました。
そしていま、卒業を迎えて新しい人生に向かうみなさんに、私は望みたい。
ハングリーであれ、愚かであれ。
SAFTY JAPAN 2005
スティーブ・ジョブズ氏に学ぶ
【仕事の意義・人生の意味】
~スタンフォード大学卒業祝賀スピーチより~
(翻訳/ニ村 高史) より転載
英語で原文で読める方はこちら。
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tanford Report, June 14, 2005
'You've got to find what you love,' Jobs says
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I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
My second story is about love and loss.
I was lucky ― I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation ― the Macintosh ― a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me ― I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.
This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ― which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay Hungry. Stay Foolish.
Thank you all very much.
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This is the text of the Commencement address by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, delivered on June 12, 2005.
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スタンフォード大学ホームページより転載



