四十九行 | 菅野貴夫の野球電鉄

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俳優・菅野貴夫のブログです。
「どこ鉄」とは、友人から送られてきた鉄道写真を、それがどこで撮られたものかを推理・検索・悪戦苦闘しながら解いていくシリーズです。

先週末の連休を使って、モリベツ東京公演の期間中に亡くなった父方のじいちゃんの四十九日法要に行って参りました。



恥ずかしながら11年か12年ぶりの陸前高田。




東北新幹線で一ノ関まで、そこから大船渡線へ。
このルートは小学生以来だと思っていたら、母いわく幼稚園の時だったそうです。ほぼ30年前じゃないか。


そういう記憶は曖昧ですが、一ノ関駅新幹線ホームにはしっかり見覚えがありました。その時に乗った、今はなき200系原色のことも…


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大船渡線は単線なので途中駅で交換ですね。車両が八高線や小海線と大差ないキハ100なのは少々興ざめであります。それにしても駅間が長い。
夕暮れ時なので高校生で満員になる区間もありました。全国どこでもそうなんでしょうね。



つい鉄道の話に行数を割いてしまう…



終点の気仙沼で待ち合わせた両親の車に拾ってもらい、いざ実家へ。


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いろいろ記憶や感覚が蘇るもんです。



親戚の皆様に会うのも、いとこのジュンコちゃんの結婚式あるいは姉あるいは妹の結婚式以来なので、まんず久しぶりでした。


とめどなく感傷的になりそうなので自制します。


とにかくここに来てみんなに会えて、本当に嬉しかった。



四十九日なのでいろんな行事があって、じっくりとお話できなかったのは心残りだけど。




じいちゃんは89歳でした。最後の写真を見たら、肌が白くなっていたのが印象的でした。


いつも農作業で黒々としていて、クシャッとした笑顔のじいちゃん。
山でマムシを捕まえてきて酒に漬けたり。
ずっと昔から「わかば」を吸っていたな。
両手を使って腕相撲をしても、全く勝てなかった。
方言がきついので、全然言ってることがわからなくて、いつも父親のほうを見ていたな…。


10年以上会ってないし、お葬式には出られなかったけど、最後に孫として見送ることができて、よかった。


最後は施設に入っていたとはいえ、お世話をしていた父のお兄さんのご家族にも頭が下がります。




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ばあちゃんから、じいちゃんの形見のジャケットをもらいました。
写真を撮ってくれたのは、ひとつ違いの従兄弟のタケシ。タケシにも会えて嬉しかったなあ。元気、と言いたいところだけど法要のあとに風邪で寝込んでました(>_<)
病み上がりだったので一緒に撮るのは見送り!


ばあちゃんともお話したかったけど、やっぱりじいちゃんと同じで通訳が必要なのがもどかしい…




ジュンコちゃんの子供たちがまた大層めんこくて、ずっと振り回されていました。俺も小さい頃はこの家で暴れまわっていたな、と感慨深かったので彼らに「おじちゃんも昔はね…」と話したら途中でどこか行っちゃいました。そりゃそうだ。



結局ダラダラと書きましたが、よかったって事です。残りは自分のなかで。







クリスマスは店でケーキとチキンの大量納品と戦い、家で惰眠を貪り、終わりました。揚げ揚げでした。