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すべての人に生きる価値があり、生きる価値・意味などを他者の解釈で定義付けたら、人類は恐らくいなくなってしまうだろう。負の連鎖で憎しみ殺し合う殺伐とした社会に発展する。まさにこれが戦争ではないか。

 

このような「優生思想」は恐ろしい。
ただし「うちなる優生思想」を持つ人が多い事も事実。
我が身でなければ、目先の判断で自身が都合よくなることを考えてしまう。集合体の中で少しでも自分の価値を見出したくて、弱いものを見つけ優位に立とうとする。そして勝手に解釈し決めつける。

 

ただ社会の在り方で、障害またその考え方なんてものは如何様にでも変わってしまう。

そもそも生きる意味なんて存在するのだろうか。
生きている、その存在がすべてなのではないか。

 

すべての生きずらい人々が生きやすい社会となるように。
合理的配慮が自然になされる社会に。

 

と私は思い、そう願う。

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6347804

悩まれている方が多いと思うので。

ALSの想定外はこれでした。

過去に色々調べていた頃に書いたものです。

全ての方の痛みがなくなる事を願って。

【当たり前を失ってからコミュニケーションの本質を知る】

「当たり前」というのは、あれも出来て、これも出来てと実は奇跡の連続だったんだと気付かされます。コミュニケーションとは、少し逸れますが、私が「喉の渇きを癒す」までのプロセスに立ちはだかる壁。というのを真剣に考えていた、まだなんとか一人でもヒョコヒョコ歩いていた、今から約2年前のエピソードがあります。

+++水を求めてコンビニまでの大冒険+++
1.家を出るのだが、鍵が締めれない。仕方ない鍵は諦めよう。締めたら逆に入れないし。
2.エレベーターのボタンが押せない。誰か来たのでさりげなく一緒に下まで降りよう。
※コンビニ到着。着いたまではよいが、ここから現実の壁がたくさんある・・ 
3.水の入ったペットボトルの冷蔵庫を開けることが出来ない。
4.ペットボトルを取り出せない。
5.ペットボトルを持てない。
6.レジでお金が払えない。
7.ペットボトルのキャップが開けられない。
8.咽てしまい以前のようにゴクゴク飲めない
→今まで当たり前にしていた事が、出来なくなった時、ただただ無力感しかありませんでした。だから躊躇せずに第三の手(ヘルパー)の手を自分の手として使おう。
※介助に抵抗のあった頃、自分に言い聞かせていました。

ただこの時「喉の渇きを癒す」には何が一番、重要で最短ルートか。私は意思を伝える事をやろうと、少し話しにくくなっていたので、エア文字盤で伝えてました。ただなかなか上手く出来ずに、ちぐはぐで、お互いのせいにしてイライラしてました。なんとか意思は伝わっているのだが、なかなか手元に水がこない。一方的に意思を伝える事、コミュニケーションを図る事。これらが違う事に気づきました。
一番最短の方法。「舌を出してゴクっと飲み込む」ジェスチャー。「喉乾いた?水?」と聞かれて答える。少しオーバーにして「冷たいのがいい?氷いれようか?」まで言葉を引き出せればニヤリです。

例えば、サッカーでどれだけスルーパスが上手い選手でも、仲間が誰一人取る事が出来なければ、ただのパスミスに過ぎず、この逆も然りです。これでは、当然得点には結び付きません。

コミュニケーションは、相手がいてボールを投げ合うのだが、難しいボールを投げる必要はなく、綺麗に真っ直ぐ相手が取りやすい事を考えながら投げれば、ボールの数は増えて、自分の胸元に綺麗に投げ返してくれる。

互いを思いやる気持ち、これだけで言葉はなくても、実はコミュニケーションというものは成立するのかもしれません。

「当たり前」というワードから、コミュニケーションというもの本質を考え始めた頃の事を少し思い出しました。

これが、失うばかりではなく、得る事を知った一番初めかもしれません。