私は、告知を受けてから、しばらく塞ぎ込んだ期間があったが、割とすぐに復活した。それは病気の進行があまりなく、手は不自由だなと思う事はあっても、人の助けがなくても自立した生活が送れていたからだと思う。
出来るだけ病気の事を考えずに、目を背けてきた。病気の事ばかり考えても仕方ないし、立ち直る時には、それでよかったのかもしれない。ただその後も病気の事を細かく考えず、逃げてきた。先にも述べた立ち直る時同様、悲観的になり続けるなら、楽観的の方がよいが、私は少し違っていた。楽観的を装って、実はものすごく不安で、この後自分はどうなってしまうのだろうとそればかりが頭をよぎり、ほとんど上の空だったかもしれない。
今当時を思い出しても、正直記憶があまりないのだ。
少しずつ進行を感じながらも、現実に目を背け、将来に脅えながらなんとか日々を送っていた。
その時は私には、未来を想像する事も、描く事も出来なかった。
現実に目を向けるキッカケは、同病の方々との交流から始まっていった。これは、傷を舐め合う為に集まっているのではなく、生き方を背中で教えてくれているものだった。先にもピアサポートについて述べたが、これは悩みを相談し、受け止めるといったようなものだけではない。
自分自身も苦しみ悩んできて、先人から教わってきた生き方を、自身を教科書とし、「生きる道標」を照らしてくれ、繋いでくれているように感じた。
また今は当たり前のように「選択」をどうするか悩んでいるが、これらは、先人たちが血のにじむような努力で掴み取ってくれた賜物であり、悩める喜びを感じなければならないほどだ。
先人たちが、繋いできてくれたものを絶やさず、次に繋がなくてはならない。
療養環境が向上しても、ALS自体の過酷さは変わらない。一人で考えすぎて殻から出れなくなる。死にたくなるような時もある。
どうか沢山の方と繋がって欲しい。
やはり一人で太刀打ち出来る様な病ではない。
ただ束になって掛かれば、勝てないにしても、負けないで、引き分けには持ち込めるかもしれない。
その繋がりすら持てずに、一人で全て背負い込んで、選択肢すらない事は、どうしても避けたいと思う。
沢山の繋がりは可能性を生み出してくれる。
情報は得るだけ得て、自身で取捨すればよいだけである。
たとえ治らない難病であっても繋がる事で、救われる命はあると思う。
どうか沢山の方と繋がって欲しい。
我々は、ALSという名前で繋がった家族なのだから。