「コミュニケーション」 | うーのブログ

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舌の萎縮が進み、構音障害がかなり強くなってきた。話す言葉の八割ほどは、伝わっていない。もしくは、誤変換されてしまい、全く見当違いの答えが返ってくるようになる。意思が伝わらない事は、自分だけ殻に閉じ籠った状態に陥る。身体が動かないより、意思が伝わらない事は、何十倍も辛い。かなりの私見ではあるが、ALSの苦しさの神髄は、「コミュニケーション」が図れなくなり、孤立、孤独感が強くなり、絶望に結びついてしまう。沢山の身体的我慢、介護体制ができない等、目に見える苦痛もあるが、一番厳しい事はまさしく、以前のコミュ二ケーション方法では、難しくなっていく事じゃないかと思う。そのような中、私は、意思が伝わらない事、コミュニケーションが図れない事、同じような事に感じるが、少し苦しんでいる本質が違う事に気付いたので、コミュニケーション、意思伝達それぞれについて、ローテク・ハイテクの手段を含め、私の考えた思いを少し述べようと思う。

 

コミュニケーションと意思疎通、意思伝達は少し違うように思う。

意思疎通、意思伝達は、一方的に意思を伝える感じがする。当然これが出来なければ何も始まらないのだが、コミュニケーションは相手が居てお互いにボールを投げ合い成立するものだと思う。よって互いの意思伝達の上に、コミュニケーションが存在するものと考える。

今まで言葉が主な意思伝達の手段であり、自ら発するだけで意思伝達が可能であった。

ただ今は文字盤、口文字を用い、私は文字を発信し、相手に受信してもらい言葉、文章を作り上げている。相手と呼吸を合わせ、伝えたいという思いで、一文字一文字発信する。受信側も間違えずに文字を拾いたいと考え、文字を紡いでいく。この時点で、少なくとも発信、受信双方の間で、コミュニケーションは成立している。もし互いが思いやりを持たずに、自由奔放な発信・受信を行うと、文字を紡ぐどころかやる気も失せて、ちぐはぐになってしまう。まさにこれこそが、究極のコミュニケーションと言い切れる。

ローテクコミュニケーションは、手軽さもあるが、発信・受信双方のコミュニケーションの元、さらに伝える相手が存在し、コミュニケーションの連鎖が起こる。ここに温かみを感じ、今まででは、得る事が出来なかった、達成感や喜びを感じる事が出来るのが、一番の良さかもしれない。 一方ハイテクコミュニケーションは、自発的に意思伝達が可能であったり、自由と便利さ、またテクノロジーの進化により、今までなら諦めていた事が、出来るようになったり、沢山の可能性を生み出してくれる。ただ、こちらも伝えたい相手が居てこそであり、双方のやりとりが円滑に成立し、コミュニケーションが図られたとなるのではないでしょうか。

ローテク、ハイテクを組み合わせ、たくさんの手段を準備し、意思伝達のみならず、コミュニケーションをいつまでも取り続けられるように、コミュニケーション支援などの勉強会等、皆で考える機会を定期的に設ける事は、とても大事な事だと思う。

AI、人工知能ではない。コミュニケーションを図るのは、あくまでも生身の人間同士である。手段は変れど、コミュニケーション能力が高い人は、高い。人間力が高いと言えるのかもしれない。

これらの事のとおり、「コミュニケーション=人間関係」であるならば、どんな状況に陥っても病気、障害などのせいにせず、どうすれば上手く構築できるかをいつまでも模索し続ける必要がある。そもそもの本質は、健常者となんら変わらない。まさに「生きる」為に当たり前の事である。意思伝達の方法だけ変化させていけば、今までと同じようにコミュニケーションを図る事が出来るはずである。