見えない力強い助け手をみませんか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇35篇】o19  ダビデによる


psm35:1  主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。

psm35:2  盾と大盾とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。

psm35:3  槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ。」と。

psm35:4  私のいのちを求める者どもが恥を見、卑しめられますように。私のわざわいを図る者が退き、はずかしめを受けますように。

psm35:5  彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使いに押しのけさせてください。

psm35:6  彼らの道をやみとし、また、すべる ようにし、主の使いに彼らを追わせてください。

psm35:7  まことに、彼らはゆえもなく、私にひそかに網を張り、ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、穴を掘りました。

psm35:8  思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。ひそかに張ったおのれの網が彼を捕え、滅びの中に彼が落ち込みますように。

psm35:9  こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。

psm35:10  私のすべての骨は言いましょう。「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」

psm35:11  暴虐な証人 どもが立ち私の知らないことを私に問う。

psm35:12  彼らは善にかえて悪を報い、私のたましいは見捨てられる。

psm35:13  しかし、私は――、彼らの病のとき、私の着物は荒布だった。私は断食してたましいを悩ませ、私の祈りは私の胸を行き来していた。

psm35:14  私の友、私の兄弟にするように、私は歩き回り、母の喪に朊するように、私はうなだれて泣き悲しんだ。

psm35:15  だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、私の知らない攻撃者どもが、共に私を目ざして集まり 、休みなく私を中傷した。

psm35:16  私の回りの、あざけり、ののしる者どもは私に向かって歯ぎしりした。

psm35:17  わが主よ。いつまでながめておられるのですか。どうか私のたましいを彼らの略奪から、私のただ一つのものを若い獅子から、奪い返してください。

psm35:18  私は大きな会衆の中で、あなたに感謝し、強い人々の間で、あなたを賛美します。

psm35:19  偽り者の、私の敵を、私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせしないようにしてください。

psm35:20  彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです。

psm35:21  彼らは私に向かって、大きく口を開き、「あはは、あはは。この目で見たぞ。」と言います。

psm35:22  主よ。あなたはそれをご覧になったのです。黙っていないでください。わが主よ。私から遠く離れないでください。

psm35:23  奮い立ってください。目をさましてください 。私のさばきのために。わが神、わが主よ。私の訴えのために。

psm35:24  あなたの義にしたがって、私を弁護してください。わが神、主よ。彼らを私のことで喜ばせないでください。

psm35:25  彼らに心のうちで言わせないでください。「あはは。われわれの望みどおりだ。」と。また、言わせないでください。「われわれは彼を、のみこんだ。」と。

psm35:26  私のわざわいを楽しんでいる者らは、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私に向かって高ぶる者は、恥と侮辱をこうむりますように。

psm35:27  私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。

psm35:28  私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。

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おはよございます。

疲れは溜まるものです。

気持ちとは異なり、身体は正直ですわ・・・。



では早速今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはコレ。

psm35:5  彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使いに押しのけさせてください。

psm35:6  彼らの道をやみとし、また、すべる ようにし、主の使いに彼らを追わせてください。





僕らは一人じゃない。

「主の使い」 とは、御使いと呼ばれている。

それは、かなり言い方が悪いが、神様が人の為に創られた 「お使い」 とも考えられる。


人を神様は大切な友として創られた。

その人に必要を支える為に御使いは僕らの傍に居てくれている。




不思議だろうけど

それはバイブルに記された事実。




主の使いは神様の命令を確実に執行する。

その為の力を有している。





だから大丈夫。

大変な最中であっても、きっと大丈夫。


僕らの祈りを聞きあげ、主の使いは神様の指示を待って、準備万端。。。




僕らは神様に祈りの声をあげるだけ。



だから

信じて今日も僕らは神様に声をあげましょうね。

言葉が思いつかない時は

ダビデさんの詩篇を自分の言葉として発してみまえんか??






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩35篇「主の使い」מַלְאָך マルアーフ

〔カテゴリーその他〕

5節「・・主の使いに押しのけさせてください。」
6節「・・主の使いに彼らを追わせてください。」

Keyword; 「主の使い、御使い」 angel, messenger
34:7/35:5, 6/78:40/91:11/103:20/104:4/148:2

  • 詩35篇には恩寵用語(動詞)は見つけることができませんが、「主の使い」マルアーフמַלְאָך(mal’ak)の存在を当然のごとく信じ、彼らを通して敵から自分を守ってほしいとの嘆願が祈られています。前篇の34篇にも「主の使い(単数)は主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」(7節)とありました。これは個人にとっても、イスラエルの民にとっても、その長い歴史において真実な告白です。ひとりの御使いとして、あるいは天の軍勢として、彼らは神に敵対する勢力に立ち向い、神のさばきを執行して、神の民や主を恐れる者を救い助け出してくださいました。その例としては・・
    (1)さばきの執行者として・・民数20:6/Ⅱサム24:16,17/Ⅱ歴代32:21/詩78:49/ダニ3:28, 6:22
    (2)メッセンシャーとして・・Ⅰ列19:5/ゼカリヤ1:9,13,14,19/3:4/4:5 etc.
  • また、主の使いはメッセンジャーとして神のみこころを伝えるためにしばしば使われています。聖書の中で最初の登場する主の使いは、創世記16章のハガルに対してでした。そこでは「主の使い」がハガルに対して慰めと将来の祝福のメッセージを伝えています。
  • 聖書の中には「主の使い(御使い、天の軍勢、天使)」についての言及が数多くあります。旧約では213回以上、新約では175回以上です。これほどの言及があるにもかかわらず、現代の私たちは「主の使い」についてほとんど意識していないのではないかと思います。「主の使い」は神と人とに仕えるために創造された被造物です。「主の使い」の存在自体が神の恩寵です。主の使いは、危機的な状況の中で必ず守ってくださるからです。
  • ダビデの生涯を見るときー特に、荒野での経験―、サウルの執拗な追跡によって生存の保障が脅かされたにもかかわらず、サウルはダビデに指一本触れることができませんでした。それは神が主の御使いを通して守ってくださったからでした。
  • 詩35篇の冒頭にある「主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。」という祈りは、ダビデがいかに主に頼っていたかを表わしています。自分が敵と戦うための力をください」とは祈っていません。私ではなく、あなたが、私のために戦ってくださいという意味です。自分で戦うことをしない、自分で自分を守らない、自分の権利を主張しない、すべて主にゆだねている姿こそ「わたしがあなたの救いだ」(3節)という主の宣言に答える信仰者としての姿です。
  • この詩篇にはダビデの祈りに対して、具体的な神からの応答はなりませんが、もし自分の祈りが聞かれるならば、「私は・・・しましょう。I will・・」という「賛美の誓い」がいくつか見られます。この「賛美の誓い」こそ、やがてダビデをしてイスラエルの歴史において画期的な礼拝の改革―賛美礼拝―をもたらせた要因だと信じます。ダビデはイスラエルの王になって最初にしたことは、契約の箱をエルサレムの一角にあるシオンの丘の粗末なテント(幕屋)に運び、そこで主をほめたたえました。音楽を伴う新しい礼拝の壮大なヴィジョンの種は、実は、自分に負い迫る者による苦境の中にあって、すでに蒔かれていたのではないかと思わせます。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs35

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