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【詩篇34篇】o19 ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき
psm34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
psm34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
psm34:3 私とともに主をほめよ。共に、御吊をあがめよう。
psm34:4 私が主を求める と、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
psm34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
psm34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
psm34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
psm34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
psm34:9 ★ 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
psm34:10 ★ 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者 は、良いものに何一つ欠けることはない。
psm34:11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。
psm34:12 いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。
psm34:13 あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。
psm34:14 悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。
psm34:15 主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。
psm34:16 主の御顔 は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を 地から消される。
psm34:17 彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
psm34:18 主は心の打ち砕かれた者 の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
psm34:19 正しい者の悩み は多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
psm34:20 主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。
psm34:21 悪は悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる。
psm34:22 主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。
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こんばんわ・・・。
ごみんなさい。今日は訳あって朝更新できませんでした。
人生色々ありますね。
突然・・・って事もあるわけで・・・
今日は なんやかんやで大変つかれたわけでございました。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm34:18 主は心の打ち砕かれた者 の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
打ち砕かれた・・・
しかし、凄い表現だよね。
打ち砕かれた人。
僕らは打ち砕かれるほどの環境にいてるだろうか?
打ち砕かれたと云われるような状況を過ごした事あるだろうか?
多分、打ち砕かれるほどの環境を体験すると
自分の力の限度を感じ、上を見上げるしか出来なくなるように思える。
psm34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
そんな時、僕らは主を仰ぎ見る事になる。
なんかそう思えるね。
そうして、神様と僕らは出会う。
ダビデさんを支えられた常勝の神様の力に触れる事になる。
僕らは輝く事になる。
それは、圧倒的な勝利が僕らにあるという事を知っちゃうから。
砕かれるのは痛い。
砕かれることを僕らは嫌う。
当然だ。
でも、
きっと打ち砕かれる体験でなきゃ、僕らの心は神様だけを見上げることが出来ないのかもしれない。
打ち砕かれるのは神様との出会い。
きっと、
今まで以上に神様の素敵さをリアルに体感できるに違いない。
痛いのは嫌だけど
少しだけその痛みもイイのかもって思えたら素敵ですね。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩34篇「答える」עָנָה アーナー
〔カテゴリー愛顧〕
4節a「私が主を求めると、主は答えてくださった(עָנָה)。」
4節b「私をすべての恐怖から救い出してくださった(נָצַל)。」
Keyword; 「答える」 answer 3:4/ 34:4/65:5/99:6/118:6, 21/119:26/120:1
- 「私が主に呼ばわる」、すると「主は私に答えてくだった」―きわめて単純かつ明快なかかわりがここにあります。「答えてください」という嘆願ではなく、はっきりと答えられたという経験が記されているのがこの詩34篇の特徴ですが、他の詩篇にもあります。
- 99:6「・・彼ら(モーセ、アロン、サムエル)は主を呼び、主は彼らに答えられた。」
- 120:1「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」
- 「答えられた」という経験が、「私が声を上げて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。」(3:4)という確信を生み、「答えてください」という嘆願を生む。しかしその背景には、「わたしを呼び求めれば、わたしは・・答えよう」(91:15)という主の約束がある。このように、「約束」-「嘆願」-「経験」-「確信」という構造の中で、神との信頼関係はより深いものとなっていくと信じます。
- 詩34篇には、作者が苦しみのうちに主を呼び求め、その声を聞かれた主が答えてくださったという構造が見られますが、その答えが、「何から救われた(יָשַׁע)」のか、「何から救い出された(נָצַל)」のかという表現でなんども繰り返して記されているのが特徴です。
4節
「主は私をすべての恐怖から救い出して(נָצַל)くださった。」
6節
「この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。
こうして、彼らはすべての苦しみから救われた(יָשַׁע)」
17節
「彼らが叫ぶと主は聞いてくださる。
そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される(נָצַל)」
18節
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
たましいの砕かれた者を救われる(יָשַׁע)」
19節
「正しい者の悩みは多い。
しかし主はそのすべてから彼を救い出される(נָצַל)。」
- 「すべての恐怖」、「すべての苦しみ」、「すべての悩み(=わざわい)」―これらは「恐れ」ということばで括ることができます。信仰者といえども、ひとたび恐れをいだくならば、無力となり、良い知恵が与えられるどころか愚かな決断をしてしまいます。歩みにおいてマイナスの影響をもたらします。なぜなら、恐れから敵(サタン)のつけ入る隙を与えてしまうからです。信仰が薄れると、必ず、恐れが怒涛のように押し寄せてきます。信仰と恐れの関係は、私たちが考えている以上に根の深いものです。この詩篇の標題にもあるように、ダビデが恐れを抱いたとき、ガテの王アキシュの前で気違いを装って難を逃れました。この経験はダビデをして「人を恐れると罠に陥る」ことを学ばせた出来事だと思います。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs34
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