主人公の英太は、終活のために単にこころの準備するだけでなく、実際にからだで前向きにアクティブに行動することによって、かつての田舎の同級生らを再会させるなど、まるでインフルエンサーのように周りのみんなを巻き込んで良い影響を与えることとなりました。
267P 礼子は真っすぐに英太を見た。
「いつだったか、十年以上前だと思う。『自分軸』って言葉を読んだの。他人の思惑とか考えじゃなくて、自分がどうありたいのか、どう生きたいのかを中心軸に据える生き方だって」
英太を含めて彼らの残りの歳月をとことんしっかりと自分軸で考えて生きていこうと思わせたところが結果的にはよい終活だったと思いました。
「終わった人、すぐ死ぬんだから、今度生まれたら、老害の人」など、内館牧子さん版の定年、終活、老後、シニアに関して書かれたこれらのシリーズは面白い。
まだそこに達していない人にとってもいつか将来の転ばぬ先の杖となります。また、これからの人生に役に立つ内容なので面白くためになります。これからも楽しみにして。
これまでの人生の積み重ねが、いまの自分のからだを形成しています。
公正証書、遺言、エンディングノート、断捨離、墓じまい……等々。
よりよく生きて、よりよく旅立てるために。
終活とは、今後の人生を安らかに生きていくために、これまでの人生でやり残したことをやっていく、自分でケリをつけるというところに大変共感が持てました。
303P
(終活は)自分のラストシーンを思い、延命治療の肯否から死後の事務処理等々を前もって家族などに伝えておく。自分のよりよき死後をデザインし、伝えておくことでこそ、今後の人生を安堵して開放的に生きられる。とても前向きないいことなのだ。
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主人公は確信した「終活」とは、自分が人生でやり残したことをやることだ。どうしてもこれだけは実行して墓場に行きたいことに、憂いなくケリをつけることだ。これこそが今後の人生を開放するだろう。
「ケリ」をつけると言うと暴力的だが、そうではない。今まで生きてきた中で後悔していること、やり残したこと、感謝を伝えたいこと、誤解を解きたいこと等々のために動くのだ。思い残すことのない終末のために、活動するのだ。
それには、(70代の)老人のアマである年代が限度だと主人公は思う。年年歳歳、老いる。今なのだ。自分の終末のために、自分が動けるのは今なのだ。
<目次>
第一章から第八章
あとがき
