勝手な思いとして、白い紙で別途挿入されている写真類は、実際に箱のなかから撮った写真であったなら面白いのだが。
ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶって街を彷徨する箱男が主人公の物語。
同時に二人の箱男が存在してはいけなかったのかどうか。
先に箱男だったから本物で、後にやった者だから偽物だというそんな簡単なものではないだろう。誰もが箱男となり本物であり偽物にでもなりうるし、箱の窓から相手を見ることも、逆にその相手からの箱の窓から自分が見られることがあるような相互依存関係性でよいのではないか。
イニシャルCは、贋医者。その贋医者の内妻は、軍医殿の正妻の奈奈、看護婦見習の彼女は、戸山葉子と名前が明らかにされていた。しかし、箱男のぼくや、A、B、中学生D、女教師、ショパン、ショパンの父などの名前の記載はなかったがその意味はあるとみた。
置き換えて考えてみると、箱の代わりに、ネットを使ったやり方で有名人と素人との匿名性、例えば、SNSでの発言や行動らがそれらに当たるのかもしれない。
誰が老舗の本家であるとか、誰か別の者が元祖であるとかは問題とはしない。
自分にとって有用なものや意味のあるものだけを取り出して、無用なものや意味のないものは取捨選択しているのだ。
「フィクションよりもリアルへ」
匿名と贋者が交錯する社会でおいても、箱の中やレンズから間接的に対象物を見るのではなく、例えば、人物ならば直接会い自分の言葉で腹を割って話をするなど、自分自身でしっかり本物を確かめて物事に対処していく姿勢に強く惹かれた。
244P
『箱男』では、「見る」ことが「見られる」ことを呼び、「ほんもの」が「贋もの」を誘発する。しかも相互の役割はたえず交換されるから、どちらのほうが優位ときめることもできない。
(中略)
この小説のなかに展開されているのは、箱の覗き窓から見た外の光景ではなく、すべてはこの内側に記された落書きとなる。現在進行中の「物語」となる。
