【No1486】平安最強の貴族・藤原道長と源氏物語の謎 本郷和人 宝島社(2023/12) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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藤原鎌足や不比等らを祖とする藤原摂関家は、世襲が続いていた。

天皇に自分の娘を嫁がせて、娘と天皇との間に男の子を生ませる。

天皇が変わっても中国の王朝のように交代がない。

平安時代は、ぬるい世の中だった。

藤原道長は、まさに巡り合わせがよかった。

藤原兼家の5男である道長は、自らが藤原の長となり貴族社会のトップとなって政権を動かすことは本来ではありえないだろう。

内覧や摂政となるのに運が必要だ。

運も実力のうちかと思った。

 

9P 藤原道長は「島耕作」である

藤原道長は、父・兼家の出世に伴い、急速に自らも出世したが、次々と道隆や道兼らの兄たちが亡くなり、その兄の跡取り息子たちがほとんど自滅のような形で出世コースから外れたことで、一挙にその絶大な権力を手中に収めます。

彼は、「サラリーマン金太郎」のような、型破りで持ち前の行動力でサラリーマンの常識を壊して出世していくタイプとまるで違っている。

敢えて言うならば、課長から会長まで上り詰めたビジネス漫画「島耕作」シリーズの主人公・島耕作のようなものです。

何か画期的なことを成し遂げたかというと、そうではないような気がします。にもかかわらず、いろんな女性と遊びながら、気づいたら出世していている。

何か特別なことをやったというよりも、年功序列でみんなが同じような政治活動を行っている中で、たまたま強大な権力の座に就いたということにすぎないのです。

 

 <目次>

はじめに 「ぬるい日本」と藤原摂関家

藤原道長と『源氏物語』をめぐる謎(藤原氏が権力を独占したのはなぜか?なぜ藤原道長が絶大な権力を手にしたのか?摂関政治はなぜ、短命に終わったのか?光源氏のモデルは藤原道長なのか?藤原道長と紫式部は愛人関係だったのか?『源氏物語』執筆の依頼主は藤原道長だったのか?藤原道長の「望月の歌」の真の意味とは?)

第1部 藤原道長と摂関政治の栄華(藤原氏とは何か?平安貴族の政治、摂関政治の誕生、藤原道長の生涯1藤原道長の生涯2藤原道長の生涯3藤原道長の生涯4、なぜ摂関政治は短命に終わったのか、藤原道長と女性たち、藤原道長と紫式部)

第2部 紫式部と『源氏物語』の世界(紫式部の生涯―紫式部とは誰か?『源氏物語』の成立と構成第一帖~第五十四帖・全編あらすじ解説、『源氏物語』の和歌、藤原道長年表、紫式部年表)

 

 

1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。東京大学・同大学院で石井進氏、五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当