【No1472】人生最後に後悔しないための読書論 齋藤 孝 中央公論新社(2023/12) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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読書は、例えば著者、主人公、偉人、歴史、自分等との、非日常の中での対話だ。

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これまでより良く齢を重ねてきたからこそ、いまになってわかってくることがあります。

観阿弥・世阿弥の一子相伝・風姿花伝にある「老木にも『花』は残る」ように、いつまでも芸を磨きながら、自信や使命感を持って真の花を散らさずこれからも咲き誇り続けていきたい。

63P 老木にも「花」は残る

観阿弥・世阿弥の風姿花伝は一子相伝。日本の芸道が誇る600年前の老賢者の秘伝書。

初心忘るべからず。秘すれば花なりは有名だ。

50歳を過ぎたあたりになったら、もう伸びしろはないというのが一般的な見方。しかし本当の達人なら、見どころは少なくなっても花は残る、と説いている。

いろいろ削ぎ落して激しい動きはしなくても、むしろ花は増えていたと。これは長年の鍛錬によって身につけた花だから、老木になっても散らずに残ったということです。

若いうちは元気な分、派手な動きで客を惹きつけることができます。しかしそれは若いときだけ「時分の花」であり、いつまでも咲いているのではない。だから芸を磨き、年齢を重ねても咲くような真の花を持たなければいけないし、またそれは可能であるというわけです。

一度身につけた芸というものは、年齢を重ねても残るのです。目の動きとか手のキレとか、それによって表現される自信とか使命感とか、老いたからといって、枯れるばかりではありません。

 

偉業を成し遂げるには、退屈な時間が大切だという。

偉業を成し遂げていなくても、これから退屈な時間を大切にしていきたい。

170P 三大幸福論に見られる共通点

スイスの思想家・法学者ヒルティ、フランスの哲学者アラン、イギリスの哲学者ラッセル。

共通するのは、幸福とは自動的に得られるものではなく、理性と意志の力で掴み取るものである。人生には様々な苦難がつきまといますが、それ自体が不幸の原因ではなく、それをどう捉えるかが重要です。

「退屈を恐れるな」

退屈というと、一般的にはできるだけ避けたい、ネガティブな状態というイメージが強いかもしれません。しかしラッセルによれば、人類の多くの偉業は退屈な時間の蓄積によって達成されたとのこと。例えば、旧約聖書、コーラン、論語、資本論はいずれも世界史に残る大著ですが、最初から最後まで興奮で満ちているわけではありません。むしろ退屈な部分のほうが圧倒的に多いでしょう。それらも含めて大著であり、名著であると説いています。

ソクラテス、カント、ダ―ウイン、マルクスという歴史に名を残した人物にしても、生涯の大半の時間は退屈だったとして、だからこそ偉業を成し遂げることができたと述べています。どんな仕事であれ、地道な積み重ねが不可欠なはずです。

 

 <目次>

はじめに 読書をすれば、中高年も新たな「ステージ」へ

1章 「老い楽の日々」こそ希望あり(認知症と戦った作家の記録、「楽隠居」より「役割分担」を求めて ほか)

2章 あなたも「老賢者」になれる(忘れられた「老賢者」、老木にも「花」は残る ほか)

3章 世界の「シニア小説」を味わおう(『リア王』―財産分与の難しさを描いた悲劇、『ゴリオ爺さん』―一九世紀フランス版、「親の心子知らず」 ほか)

4章 なぜか落ち着く「江戸」へのいざない(なぜ「時代小説」を読みたくなるのか、ド定番の司馬遼太郎作品 ほか)

5章 いい大人になるための「哲学」入門(「自然体で暮らす」ことで世界が広がる、人類史にまつわる壮大かつ斬新な本が続々と ほか)

 

1960年静岡県生まれ。明治大学教授。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は教育学・身体論・コミュニケーション論。教職課程で中高教員の養成に従事。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞)シリーズ、『身体感覚を取り戻す』(新潮学芸賞受賞)など著書多数