紫式部は、清少納言をライバルだと思っていたようです。
82P 紫式部が、強い批判を浴びせている相手が清少納言です。
「清少納言の得意げな様子って、ちょっと異常だわ。なんだか利口ぶって、漢字なんか書き散らしているけど、よくよく見れば、まだまだってところがいっぱいなのにね。私は他の人とはこんな違うのよ、なんて、いつも言っている人に限って、必ず欠点があるもので、将来はどんどん悪くなっていくばかりだから、……きっといい最期は迎えられないと思うわ」
NHK大河ドラマ「光る君へ」が新年から始まりました。これを継続して観ていこうと思っています。少し平安時代の知識を仕入れてから観ていくと楽しめて面白いのではないかと思ったのです。
紫式部と清少納言は、平安時代の同時期に平安京の下流貴族として生きていました。彼女らが宮仕えをしていた時期はかぶってはいません。中宮定子がおじの藤原道長と疎遠になったのと同時期に清少納言が先に宮廷から去っていました。彼女らの生活は十年程度であり、思ったよりも長くはありませんでした。
彼女らが見聞した期間はとても太かったし短かかったけれども、紫式部と清少納言の二人が五感で得られたもろもろの様子や知識は、文字を通じて伝えられるかけがえのない我々子孫への大切な財産となったものと思います。
34P 貴族の女性が宮仕えをしたり、高い身分の相手と結婚するのは、自分のためばかりではありません。父親や兄弟に出世のチャンスが生まれるということも大きな理由です。身分や地位が少しでも違えば、収入や暮らしに大きな差が生じる時代に、貴族たちは少しでも上の位に登ろうと必死でした。女性に高い知識と教養が求められるようになったのは、このことと深い関係があるのです。
37P 宮仕えとは、天皇のお后の傍で食事や着替えなど日常の暮らしの手伝い、外出のお供など身の回りのお世話が中心です。お后の話相手になったり、ときには音楽や学問を教える家庭教師も大切な役目になっていました。だから高い知識と教養が必要なのです。
<目次>
貴族の都、平安京
第1章 その生い立ち(家がらと家族、少女時代に学んだこと ほか)
第2章 清少納言と中宮定子(一条天皇の登場、あこがれの宮仕え ほか)
第3章 紫式部と中宮彰子(道長のさそい、ライバルは清少納言 ほか)
第4章 宮仕えを終えて(二人のその後、生きつづける作品)
始まっていた武士の時代
酒寄雅志
博士(歴史学)。現在、国学院大学栃木短期大学日本史学科教授。1949年、神奈川県に生まれる。一橋大学大学院博士課程を修了。共立女子中学校教諭を経て現職。国学院大学大学院、東洋大学の講師、栃木県文化財保護審議委員などを兼務。専門は日本古代史、東北アジア史
小西 聖一
1939年生まれ。愛媛県出身。早稲田大学大学院修士課程(日本史)修了。放送作家。おもな作品に「くらしの歴史」「にんげん日本史」など。
【No1455】紫式部と清少納言 貴族の栄えた時代に NHKにんげん日本史 著:小西聖一 監修:酒寄雅志 理論社(2003/08)
