「鬼滅の刃」が教えてくれた傷ついたまま生きるためのヒント 名越康文 宝島社(2021/10) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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「鬼滅の刃」は、現代の日本人の心を揺さぶるほど人気があるアニメだ。

この人気には、ちゃんとした理由があるものと。

炭治郎などキャラの目の焦点の描き方や禰豆子など男女の描き分けが、一般的な漫画とは違っている。

本当のところ何を考えているのかあまり明確ではないところをはっきりとしている。

怒っているようで泣いている。悲しんでいるようで笑っているように。

このような表情が斬新的で重層的に見えてきた。

 

トラウマ、こころの傷、他人の感情に感応・同調できないサイコパス、境界性人格障害、反社会的人格障害、過剰対応、解離的防衛、躁的防衛など、鬼滅に出演しているキャラクターたちの性格は多種多彩だ。

精神医学、精神病理学、心理学的に、精神科医がうまく精神を分析している。

 

生殺与奪の権については、我々日本人全員に向けた大きなメッセージだった。

28P「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

物語冒頭、鬼に変えられた禰豆子を鬼殺隊の水柱・冨岡義勇が殺そうとしたとき、土下座して禰豆子に命乞いをする竈門炭治郎少年に対し、冨岡は激しい口調で言い放ちました。

「生殺与奪の権」とは何でしょうか。それは、生きること、死ぬこと、もっと踏み込めば、殺されるのか、殺すのかということ。それを決めるのは他人ではなく、自分であるということです。その権を、他人に委ねるな。自分が握って、それを離してはいけない。そういう強いメッセージを、作品の冒頭と言ってもいいところにドン、と掲げている。それが「鬼滅の刃」であり、その作品が歴史的な大ヒットとなった事実を軽く見てはいけないと僕は思います。

 

36P 「鬼」は人間の「未熟性」の象徴である。(幼稚性もあり)

 

太陽とうつした病を克服するため。

135P

かつて鬼舞辻の血によって「鬼」となりました。

それによって彼らはそれこそ魔物的な力を得ました。しかし同時に、永遠に太陽の下に出られず、かつて同胞であった人を喰らう運命に縛られることとなりました。

(中略)

「鬼」というのは、鬼舞辻が「うつした病」です。その病によって下弦の鬼たちは苦しんでいる。その鬼たちの潜在的な怒りが自分に向かってくることに、鬼舞辻は怯えていたのではないか?

女郎屋の女将が、女郎たちの苦しみや怒りがいつの日か自分自身に向かってくるのではないかと恐れるのと同じように、鬼舞辻もまた、自分が鬼にした者たちの怒りが、自分自身に向かってくることを恐れているように見えるのです。

 

168P 鬼滅の刃という物語は「透明性を帯びた慈悲」へと向かっていく。

 

<目次>

はじめに 

第1章 「鬼滅の刃」はどうして日本人の心を揺さぶるのか(「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」、鬼とは「生殺与奪の権を奪われた存在」である ほか)

第2章 鬼と鬼殺隊(「鬼」は人間の「未熟性」の象徴である、鬼たちが抱える「さびしさ」とは何か ほか)

第3章 「究極の悪役」としての鬼舞辻無惨(悪は幼児性を隠さなければいけない、トラウマを自己正当化しようとしたアナキン ほか)

第4章 「鬼滅の刃」が指し示す理想の世界(「記憶の継承」の重大な役割、物語を動かす「犠牲」としての杏寿郎 ほか)

第5章 「鬼滅の刃」を彩る魅力的なキャラクターたち(「焦点の合わない目」に映し出される世界、胡蝶しのぶとサイコパス ほか)

 

 

1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪精神医療センター)にて、精神科救急病棟を設立、責任者を経て1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでのコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活動中