戦後間もないころの子供たちの遊びは、やはり野球だったのか。
日本の発展状況について、野球を通してビートたけしさんが振り返ります。
「北野武・ビートたけし」という人物の厚みが形成されるまで、彼がどのようにして成長してきたのか。
高度成長期を通じて、日本がどのように成り立っていったのか。
長嶋茂雄さん。ぼくも魅せる天才だと思います。
ここで一本ヒットを打ってほしい時に結果を出してきたから。
いとも簡単に守備をこなせるように見えました。
事実、陰の人に見えないところで物凄い練習をしてきました。
見た目が華やかなのでそうだとはまったく見えないのです。
「舞台裏は見せないのがプロとしての私の信条だ。プロとは夢を売る商売。だったらお客さんにいいものだけをお見せするべきだ。暗い隠された部分は絶対にお見せすべきではない。」(野球は人生そのものだ 長嶋茂雄 日本経済新聞出版社 より)
彼のプレーを見たファンに夢と希望を与えてくれたのは間違いありません。
堅苦しくないざっくばらんなたけしさんの話は面白いし楽しい。
<目次>
はじめに 高齢者となった野球小僧が戦後を振り返る
1 原っぱとグローブと 1945‐1958(下町の空き地に集まる子どもたち、戦争と敗戦の記憶 ほか)
2 高度経済成長とプロ野球黄金期 1959‐1973(越境入学した中学で待っていたもの、下町にスタジアムができた ほか)
3 日本野球の鎖国と開国 1974‐2015(除籍された大学から卒業証書をもらった、長嶋さん引退とツービート結成のタイミング ほか)
4 長嶋茂雄さんの天才伝説―名選手列伝(自分の見せ場を知っている、わざとミスをするのが芸 ほか)
5 団塊の世代は光速を超えて生きる 1945‐2015(黒い霧の中に消えた名選手、「空白の一日」に何が起きたのか ほか)
おまけ
北野武。
1947(昭和22)年、東京都足立区生まれ。芸人、映画監督、俳優。72年から浅草フランス座で漫才の修業を始め、74年にツービートを結成。絶大な人気を博す。テレビ、映画、CM、著作など多方面で活躍し、89年に『その男、凶暴につき』で映画初監督。97年にはベネチア国際映画祭で『HANA‐BI』が金獅子賞(グランプリ)を獲得し、以後、数多くの映画賞を受賞するほか、2010年にフランスの芸術文化勲章「コマンドール」を叙任するなど世界的に名声を高める。
