ぼくは、終わっていない。
定年後にも、終わりたくもない。
まだ現役世代。あっという間にいつかはシニア世代となる。
定年前から将来どうしたいのか、どうしていくべきなのか等を今から考えてこれからやれることをしていくこと。定年後にやりたいことを今から準備しておくことだ。
それらは、今からでも早くもないし遅くもない。
先輩たちの足跡を見ながら、自分の将来の生き方をいろいろと考えながら過ごしていきたいと思った。
372P「重要なのは品格のある衰退だと私は思います。」
働いている現場や社会から、いきなりリタイアして離れるのではなく、自分なりのソフトランディングしていくやり方もある。
そのために、趣味を通じてや資格などを活かしながら、一定の社会と繋がって少しずつ、ちょっとずつ世の中から離れていけばよい。
「いまの自分が直に読みたい本」
いわゆる第二の人生と呼ばれる、老年期の生きざまをしみじみ考えさせらる。
退職直後の状況を鮮明にあぶり出している。
いつか身につまされる現実が当たり前のようにやってくる。
定年を向えたあとに、主人公のように惑い、あがき、慌てふためかないように、思い立ったいまから準備をしていきたい。
1948年秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業後、13年半のOL生活を経て、1988年脚本家としてデビュー。テレビドラマの脚本に「ひらり」(1993年第1回橋田壽賀子賞)、「てやんでえッ!」(1995年文化庁芸術作品賞)、「毛利元就」(1997年NHK大河ドラマ)、「私の青空」(2000年放送文化基金賞)、「塀の中の中学校」(2011年第51回モンテカルロテレビ祭テレビフィルム部門最優秀作品賞およびモナコ赤十字賞)など多数
371-372P「あとがき」
定年を迎えた人たちの少なからずが、
「思いっきり趣味に時間をかけ、旅行や孫と遊ぶ毎日が楽しみです。ワクワクします」
などと力をこめる。むろん、この通りの人も多いだろうが、こんな毎日はすぐに飽きることを、本人たちはわかっているはずだ。だが、社会はもはや「第一線の人間」として数えてはくれない。ならば、趣味や孫との日々がどれほど楽しみか、それを声高に叫ぶことで、自分を支えるしかない。
こういう男を主人公にして小説を書きたいと思ったのは、もう二十年以上も前だ。その頃は私も四十代で、実感もないまま脇に置いていた。
そして数年前、私も還暦を迎え、友人知人は次々に定年を迎えた。同時に、クラス会や昔のサークルのOB会や、数々の会合がひんぱんに開かれるようになった。もちろん、私も楽しみに出席していた。
その時、それらの会でふと気づいたのである。若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね……と。着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や数々の運などにも影響され、格差や損得があるだろう。だが、社会的に「終わった人」になると、同じである。横一列だ。本書の主人公のように、着地点に至るまでの人生が恵まれていれば、かえって「横一列」を受けいれられない不幸もある。
ならば、何のためのガリ勉し、あがき、上を目指したのか。もしも「最後は横一列」とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。
そんな中で、「終わった人」というタイトルがハッキリと浮かんだ。
六十代というのは、男女共にまだ生々しい年代である。いまだ「心技体」とも枯れておらず、自信も自負もある。なのに、社会に「お引き取り下さい」と言われるのだ。
本書の主人公は、何とか再び第一線で働きたいと本音を隠さない。生々しい六十代の元エリート銀行マンである。彼は果敢に職を探し、自分を生かそうとする。
