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NYから学ぶこと # 5 既製品都市


帰国して二週間近くになり、将来の事と向き合いながらも、これから自分が社会にでていく上での問題意識をどこにおくかというのは選択性がありすぎて難しいなぁと、こう思っている。


で、今回はNYCとNGYについて、経験的なことから少し都市について、あたりまえの話と思われるかもしれないが見直しのようなことをしてみたいと思う。


同じグリッドのシステムにのっとっているのにNYCとNGYでは空間的に大きく異なる。この事実が面白い。ATLAS(ジェシーや奈々子さんのセオリー本)でいうと 新ー地域主義 もしくは 特異性のある現実 といえる。もしくはその効果についてである。その下敷きには、レムのいう”文化の無意識下の力によって操作される存在ー現行犯”であったり、ベンヤミンのモードという概念、NYから学ぶこと # 4があるように思う。


さっそくその空間的な違いについて述べたいと思う。


例えばインフラとしての道のつくられかたの違い。NYCでは南北軸をavenue、東西軸をstreetとし、Aveは複線で幅員が大きいのと同時に、Stは単線で幅員が小さくできていて、歩道は木が成長できるくらいゆったりしている。これに対してNGYでは南北軸、東西軸が全てAveでできていて幅員が大きく、歩道には木があったり、なかったりしている。つまり車と人の関係が反転している関係にあり、その関係はNYCでは車は征服するものの一つであり、NGYでは車は支配されるものの一つだと、こう思うのです。


そして地表面を覆いつくすモノの種類や程度の差異。NYCでは煉瓦でできたアパートやオフィス、チャーチetcがあると同時に、鉄骨やコンクリートでできたアパートやオフィス、コマーシャル、ミュージアムetcが同じ表面にある。それに対してNGYでは鉄骨やコンクリートでできたビル群が同じ表面にある。これは地震の有無や戦争で焼けたかどうかによっていて重要なことではないかと思う。というのも都市の多様さはモードの多様さにあると思うからだ。


またそのモノの集合についての違い。NYCでは細かくパッケージされたものがあるまとまりを沢山つくっている。これに対してNGYでは大きくパッケージされたものがまとまりをつくっている。思うに、多目的ホールに代表される、統合するというモードばかりで、成果物として郊外の大規模ショッピングモールのような状態になっているような気がする。


さらにはそれらを計画する人のスタンスの違い。表現が難しいのだが、イノベイトしようとするか、リピートもしくはコピーしようとするか。なんとなくイノベイターは中心?競争率が高いところ?に集まっていて、リピーターはその中心の周辺あるいは、別の中心にいるようで、その構造がその場所のモノにあらわれているのではないかということ等。例えばそれがNYCには建築家がつくったモノが多く、NGYにはほとんど建築家のつくったモノがないということではないでしょうか。


上記のように、NYCとNGYの差異についてみることができたわけですが、もっと沢山その差異はあるかと思います。


さて先ほどモードの多様さのようなことをいましたので、ここで少し現代らしさについてみたいと思います。なぜならばモードの積層が都市をジェネレイトしていると考えるからです。ベンヤミンの複製時代からアンディ・ウォーホル、ボードリヤールに象徴されるような複製、反復、モデルという抽象性や、マックやスタバといったグローバル市場の具象性などからみれる同質性(均質性とは少し異なる、外的なものはAVE.になるが、内的なものはそうならないからだ。)ということ。モノが規格化・標準化を通してジェネレイトされるということ。だからどことなく同じような建物が、どことなく同じような場所が生まれ、そして最終的な都市というモノがその延長で生まれているのではないかということ。


これが現代性ではないだろうか?


そこでNYCとNGYの差異についての話がでてくるのですが、NYCというのはモードの積層がある。先ほどお話したモノの種類や程度の差異がいっぱいあるということ。しかしながらNGYにはそのような差異がないということ。つまりモードが現代性でしかないということ。だから空間に多様性がなく、同質性というつまらなさに至っている。焼けてモードを失い、グリッドがしかれ、規格化・標準化されたモノで地表面が構成されたというコンテクストもあり、ある種の既製品でしかできていない都市(試作品は全てイノベイターがやるからであり、それはガンダムにおいてもその関係は同じ?)。これがNGYの都市の特徴ではないだろうかと、こう思ったわけです。単純に便利で生活しやすいけど、つまらないと。美人は3日で飽きると。だから名古屋は飛ばされる。だからといって交換可能である、とは言えませんが。


上記のNGYのような特徴をもっている都市は他の場所にもあるかもしれません。あったらあったで、なお面白い。これがモノに支配されるという日本人の伝統的な部分だと思うから。だから日本人は箱しかつくらない。そしてまた自分もその一人なのだ。