シュメール文明では「我が子を育てる事」が禁止でした。
例えば、
受験は適者生存で、虐めを生みます。
受験社会で、虐めが無くなる事は有りません。
受験とは、
落ちこぼれを生み出す制度だからです。
我が子が虐められても、学校に通わせる。
たとえそれで
我が子が死んでも、それは仕方が無いと考えてしまう。
でも、
他人の子を預かっていたら、「虐めの渦中」に入れますか?
行けば、子供が傷付く、それが判っていて行かせる
そんな「無責任」な事は
子供を預かる身として、出来ないでしょう?
我が子を育てると
社会の「不浄」⇔「不条理」を生む
だから
昔の日本では、寺子屋に「託児した」のです。