阿吽とは女男と言う意味でも有りますが、
阿は、阿頼耶識を意味します。
「阿の魂」とは「阿玉」=「頭」です。
吽は、運動=労働を意味します。
本来なら、
「女」は「か」(かか=母)なので、かみ(神)
「男」は「お」(おわり)なので、おみ(臣)となります。
神と、神の労働者が、阿吽なのです。
後に、「神」=「救い」のニュアンスが強くなります。
でも、本来は「臣」が救いを為す者でした。
頭(阿玉)と体(労働者)のバランスが大事です。
邪馬台国では
婚姻制度が無かったのでパートナーを取り替えました。
生活は国が見るから
結婚など、意味が無かったのです。
人と人とは、「愛で結ばれる」べきだと思います。
契約で「縛る物ではない」のです。
ただ、邪馬台国では女が男を選んでいました。
気に入った男を宮(くに)に、仕官させて、働かせ
男に魅力を感じたら、女は喰ってみる
それが邪馬台国の暮らしでした。