この覚えの差が才能なんです。
生まれ変わっても、「才能」は、来世に引き継がれる。
「魂が覚えている」=「興味」を持つもの
は、脳の神経も発達しやすくて、なかなか忘れない。
人が何度も生まれ変わる意味です。
邪馬台国では、占いで人生を決めていました。
これは、
マヤの占いと同じ「Kin」を調べて、前世で学んだこと
「Kin(琴)」を調べて、ひとに
来世(今生)でも、前世の続きをさせてあげるのです。
前世で、「行ったこと」を 来世でも「同じことを行う」と
既視感(デジャブ)を得ます。
これが「閃きにつながり」前世より先に進めるのです。
士農工商は、身分差別ではありません。
前世と同じ職業に就いた方が「得」と言うことです。
前世と同じ職業を継ぐ
(縄文時代の)大和の民は、親子の縁を(必ず)切る
ので、
親の遺産を当てにせず、親の七光(贔屓)も無く
親の家業も継がず(親に恩は有るが義務は無い)
民にとって、国家が親で、国家が家だった。
「石」は磨かれて「玉」に成る。
だから
国とは、「王」ではなく、「玉」を囲っている。
つまりこれは、
「玉」=「人」を、囲っているのです。
大和の民は死ぬと誰でも、
同じように、全資産を国家に託し、国はその金を
次世代の子育てに役立てる。
才能のある子には国が援助して、才能を伸ばす
頑張る子は
(前世より)更なる成長(飛躍)を遂げてゆくのです。
ことわざの「琴線に触れる」とは、「前世の行い」と
「同じこと」をすると
「Kin(琴線)」が振るえる(=前世と共鳴“共振”する)
こと・・・(心が振るえる)=「心が歓ぶ」と言うこと
を表しています。