作詞家に転向した理由 | 杉山 召のブログ

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超能力と宇宙人のことを書いています。

ご存じの方も居ると思いますが私は、
日本音楽著作家連合のメンバーだったりします。
もともと整体院を開業していたのですが、
無理が祟って体を壊し・・・ちがうな。
もともと体を壊している所を無理して続けていたら
立って歩くことも出来なくなった。のです。

幸い最近になって
アメブロ仲間の風さんが歩けるようにしてくれた。
とても感謝しています。

回顧録
この頃は、まだ病気を真剣に考えていませんでした。
・・・で、調子に乗って歩いていると、困ったことに
足の裏に穴が開いてしまったりしていた。

小さい頃からC型肝炎で、20代で癌化してしまい
23歳でどうして生きているのか判らないと言われ
24歳で開業して頑張って来ました。

患者さんを治していれば、いつかランディチャレンジ
超能力を示したら100万ドルの賞金で神社を建て
神社で新たな治療師(ヒーラー)を育てる計画でした。
でも、エントリーはハネられ挑戦する事無く終わり
ランディの掲示板で予告して天気を変えたりしました。
反省しています。

公正証書を取り、送った郵便物もHPでアップして、
エントリーしたことを証明しようとしたけれど、
ランディのサイトはエントリーを認めませんでした。

待ち時間で、5月のフロリダに大雪を降らせたり、
火事を消そうとして雨雲を作り、その雨雲を動かし
火災現場に近づけようとしたけれど
火事の気流が強すぎて近くの橋を壊してしまったり
あまり上手くは行きませんでした。

メールでユリ・ゲラーにランディは手品師だから
人を騙すのが仕事だと説得されました。
(今はもうメールのやり取りはしていません)

そんな紆余曲折があって、お金が入らない事が判り
まじめに患者さんを治すことに専念していました。
(もともと真面目ですよ~)
ですが、料金を取ることが苦手だった為に、
ずっと赤字で、かみさんに迷惑を掛けていました。
(そもそもランディチャレンジで勝つ気でいた)

栄養ドリンクを飲みながら気合で開業を続け
血糖値は常に600近くまで上がっていました。
そんな日々が20年も続いていた。
正直(生きるのが)しんどかったです。

走ると靴の中で皮がずれて血で靴が音を立てていて、
手の指先から粉を吹いたように血が出ていて
座って休んでいると口から血がこぼれていました。
心拍数は常に100台をキープしていて、(平均110)
たまたま読んだ寿命と心拍数の関係の本から、
寿命と引き換えに回復力を上げているんだと知り
もう、これ以上整体院は続けられない。

それで作詞家に転向したのです。
歩けなくて、目が見えなくても、仕事する為です。
でも、もちろん治る気で生きています。