フィクションを見ていると
貧弱な人間が霊力に目覚めると強大な力に目覚めるシーンが有る。
モンスター願望でしかない。
それは、間違っている。
人間は自分自身が足元に積み上げてきた努力しか持っていない。
仮面をかぶろうと、自己暗示を掛けようと
恐怖から逃げて来た人間は、霊力を持っても弱いままです。
読書が好きな人間は、読書が好きな魂を育てている。
走るのが好きな人は、走るのが得意な魂を持っている。
魂とは何者かに与えられるものじゃない。
魂とは自分自身が成長して来た(自分の)時間そのものです。
例えば、
柔らかいタッチの絵を得意とする者が逆のアドバイスを貰う。
「もっと荒々しくあっても良いんじゃないか?」ってね。
聞く必要は有りません。
自分を大事にしてください。個性を伸ばさないと魂は伸びません。
他人のアドバイスでなく
自分の中から、荒々しくしたいと思った時に、ちょっとだけ
寄り道する
言わば息抜きです。
今までの道を一歩引いて「深呼吸する」・・・少しぶらぶらする。
・・・でも、道は今までと同じです。
シュメルの文化では他人にアドバイスをしません。
教育(言って解らせるの)が下手だから地球人に殺されたのです。
(地球に来た時に)初めに
悪人を集めてやっちゃいけないことを説明したのが間違いの始まり
教育が苦手なくせに、教えようとしたから殺されたのです。
地球人は海蛇座の異星人が怖かったのです。
ならば、
何も言わずに暮らしぶりを見せていれば虐殺されなかったでしょう。
恐れられている内に
テラの教えの素晴らしさが伝われば殺されずに上手く行ったのです。
地球人はまだ未熟です。
人間と違う異星人なら、恐怖を我慢して上手く関係を築くでしょう。
しかし、異星人が地球人と同じ姿である事に耐え切れなかった。
もっと
地球人が多くを学んで高度になったら同じ姿でも怖がらないでしょう。
赤ちゃんに、お母さんと別人の合成写真を見せると怯えます。
ロボットもそうです。
殺戮マシーンより、人間に近づけたロボットの方が不気味なのです。
閑話休題 ・・・ 霊力は魂が為してきたこと です。
思い描いた事じゃない!
実際に、他人の病気を治してきたから、治す力が育っている。
信じて来たとか、祈っていた。事は魂の成長になりません。
誰かを肉体のスキルで助けて来た事が魂を育てる経験値になります。
強い感情が魂に届く時
魂は肉体と感情という絆で結ばれて、人と魂は一つの生き物に成る。
即ち。霊力を発動させるのです。
人と魂が別々では奇跡は望んでも起きないし霊力は働かない。
ちなみに
シュメルに、もともと教育などと言うシステムは存在しませんでした。
弟子は尊敬する人のもとで技術を模倣したのです。
師は弟子を選びません、弟子は師を過去の作品から選びます。
無視されたら、それでオシマイ
見習うとは、師の素晴らしい技術を模倣すること
見習わないとは、魅力が無かったと言う事です。