ダ・ヴィンチ・コード | 杉山 召のブログ

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超能力と宇宙人のことを書いています。

正直なところ、
イエスが隠してきたことは、バチカンには全く通用してなかった。
ダ・ヴィンチ・コードの映画からそれを知った。

やっぱり、彼ら(バチカン)の方が私よりイエスの歴史に詳しいね。
ダ・ヴィンチ・コードを観るまで
私は聖杯を(眼に見えない)オカルト的なものだと思っていたよ。

人間の魂は、動物の霊と違って、輪廻転生する。
その時に必要な器が杯です。
最近のSFではアバター(化身)って言っています。
要は、
神が地上で力を使う時に使う杯(人間の姿)が聖杯でした。

「器」=「杯」=「アバター」即ち、
猿から進化させた、魂の修行用の器(アバター)です。
神の力を出せる特別な器が聖杯なのです。

ダ・ヴィンチ・コードでは、イエスの作った。「もう一人の子」に、
焦点が当てられている。
マグダラのマリアが恋人だってバレていたんですね。
イエスはマグダラのマリアを見逃してもらう条件として
金髪の女性との間に子を設けさせられました。

イエスは最後の言葉で言いました。
「わたしはあなたの中にいる」中とはマグダラのマリアの子宮です。
イエスは死後、
魂をマグダラのマリアの中の胎児に宿るつもりだと言ったのです。
遺伝子として宿ると言う意味ではなく、生まれ変わると言う意味です。
ダ・ヴィンチ・コード的には、この時のマリアが聖杯です。

映画では、金髪の女性は女の子を生み名前はサラだそうです。
マグダラのマリアは男の子を産みました。
その男の子にはイエスの魂が宿りました。
これがほんとうの意味の復活です。

マグダラのマリアは、
レビ族(シリウス)と陸路で日本を目指します。
イエスの言う「バニ」とは、シリウスの事、レビ族のことです。
イエスは「神は見捨てない」とバニ(レビ族)に約束しています。

マグダラのマリアは比丘尼となって日本を旅しています。
イエスはマリアの子として共に旅をしていました。
東京の赤羽に彼女の立ち寄ったお堂が有り、
そこに、マリアの大きな地蔵と童子の小さな地蔵が置かれている。
大きな地蔵の碑には信女(信じる女)と書かれています。

マリアが渡って来た時に漢字が伝わったのだと思います。
時期的に合致します。
とても辛い旅だったでしょう。
マグダラのマリアは、遠い異国の地で良く頑張ったと思います。

転生したイエスの亡骸は長崎に、マリアは広島で死にました。
死んだ者は、来世で生まれ変わる時に死んだ場所から転生します。
だから何処で死んだかが重要なのです。

恐らく聖杯を焼くために、核爆弾は日本に落とされました。
イエスとマリアが転生すると宗教が終わる預言なので
聖杯を焼くために
次の転生場所の広島に原爆が長崎に水爆が落とされました。
死んだ場所で転生するってことは
イエスは長崎で、マリアは広島で輪廻転生して来ると言うことです。
しかも、
生まれ変わりで顔は変わりませんから、同じ顔と、同じ能力です。

前世で能力者が来世で能力を使えないなんて事は有りません。
小さい頃は普通でも
使えないように思えても、成長と共に使い方を思い出します。
普通は大人に成ってから思い出すのです。

インカ帝国で悪さをした白人たちは、彼らの似顔絵を残させていません。
生きた人間を使ったボード・ゲーム(wargame)です。
勝ったら服を与えられて、負けたら脱がされるルールでした。
それと、人間の頭蓋骨を変形させる非道で邪悪な実験です。
悪さをしている自覚が有るので顔がバレないようにしているのです。

インカの王の像が裸なのは王に実権が無いと言うメッセージです。

そして、シュメルの孤児の宿命です。(海蛇座の生き物の宿命)
映画のオーメンでも、転生した姿は同じ顔でした。
明らかに、
悪い奴らは異星人と接触して輪廻転生の真実を聞いています。

地球で信じられている輪廻転生だと
場所も、性別も、種族も、まちまちで輪廻転生はランダムだからです。
実際は
魂が地球に肉体を貰って転生してくるのでランダムではありません。

魂に適合する肉体は、前回と同じ顔の同じ能力の人間の姿です。
つまり
子孫を残さないと転生は難しくなるのです。


某宗教の延命のために、聖杯を(遺伝的にも)壊すために
広島と長崎では、多くの命が犠牲になったのです。
何故に原子爆弾か?
それはイエスが転生しても被曝で遺伝子を壊し奇跡を潰すためです。
とても罪深いと思います。

今まさに、特定の地域だけでなく日本全土の聖杯を壊すため拡大
日本は原発大国(被曝大国)にさせられようとしています。
日本人の中に聖杯を持つ者
第二、第三のエノク(異能者)が産まれるかも知れないからです。
本来のエノクは「天災を防ぎ、難病を癒やす」宇宙の希望です。
でも、エノクが居ると(ねずみ講)宗教が終わる。

でも・・・終わるのは、金儲け主義の(神の要らない)宗教です。

真の宗教は、奇跡と共に(人の歩みと共に)成長してゆくのです。

たかが聖杯を壊すために幾人もの罪無き人間が犠牲になる。
・・・なんて、恐ろしいことです。