古代ヘブライ語でスサク(朱雀)とは鳥人だった。
スサとは鳥
クとは人
ルーツは何の事はない相撲だった。
相撲では(地面に)手を着くと負けである。
鳥は手が無いから負けない。
そう言う縁起物なのだそうだ。
今回、意外にはっきりとした答えが有った。
これは幸運である。
ブラフマーがわたしに観せていたビジョンは、
ゴリマッチョではなく力士だった様だ。
スサノオについて訊いたのに、
ゴリマッチョを見せて来たブラフマー・・・。
しかもマスラオだと伝えて来た。
ツクヤムがツクヨミになった様に
スサノオがマスラオになったらしい。
理由はスサノオが個人を表す感じになったから
新しくマスラオが生まれたらしい。
ツクヤムがツクヨミになった理由は、
大陸から漢字が入った時に
ツクヤムのままだと漢字が当てはめ辛い。
だから付喪神と月詠(月読)に別れた。
漢字は便利だが
それだけに間違えると本質が変わってしまう。
座禅の「無」が判り易い。
本来なら「ム」とは古代ヘブライ語で「救い」だ。
それが(過去のうつけ者が)漢字を当てたため
「無」になってしまった。
「救い」と「無」では意味が逆である。
古代ヘブライ語が日本語のルーツなら、
カタカナはアラム文字である。
歴史学者はそこんとこ間違えずに研究して欲しい。
でないと、
もう座禅の「無」は訂正が効かないのである。
今更、「救い」だったと言われても困るだろう・・・。
誰か責任取れよ。