大陸から漢字が入って来るまでヤマトの国(日本国)にはカタカナしか無かった。
富士山のフジとは、フが二つ並んでいると言う意味と捉えられます。
フブの「フ」と「ブ」はどちらもアラム文字の「命」と言う意味です。
二は↓漢字の2
恐らく富士山とはフが二つで「フ」が二つ続くからフ次なんだと思う。(フ二かも)
そして「フ」とは、「与える命」で、「ブ」とは「奪う命」を指します。
即ち、「命を与え奪うもの」つまり「フブ」とは、「自然神」を指します。
漢字では「布武」でしょう。
・・・そして、昔から日本では、自然神の事を「氏神(うじがみ)」と言い表します。
布武とは何か? ヤマト言葉のフブに漢字を当てたものと思われます。
「フ」とは漢字の「布」です。お布施や布教など「布」とは与える意味の字です。
「ブ」とは漢字の「武」です。武器、武装、武術など命を奪う「武」の意味を持つ。
即ち「布武」とは「布」=「命を与え」+「武」=「命を奪う」の和合(たしあわせる)
「布武」=「与え奪う」と言う意味で、「布武」だけで「自然神」を表す。
ヤマト言葉の「フブ」が漢字の「布武」になり、意味が失われて「氏(うじ)」に、
そして自然神の意味が重複されて氏神になったのだと考えます。
つまり「布武」=「自然神」が氏神「氏(うじ)=布武(ふぶ)」加える「神」になった。
要は、「氏神」とは「自然神神」ですね。何故か「神」が一個多いのです。
「氏」が「布武」の変形なら、「氏」だけで「自然神」と言う意味になる筈なのです。
偉い人を~氏と言い習わすのは、もともと神の称号を敬称にしていた?
なんだか、日ユ同祖論を頼りに日本語を紐解くと趣が有ります。