ゲーム脳と云う言葉の悪意 | 杉山 召のブログ

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超能力と宇宙人のことを書いています。

 学歴社会は暗記力を問う。
そこに個性の入り込む余地がない。
受験教育では、どうしてその結果に至るのかを考えない。
初めは考えさせるが、いずれおざなりになる。

試験に出る数値だけ暗記する。
競争が激化すると更にその傾向(なおざりに成る)が強くなる。

失敗を嫌う。だから原発で何人死のうが、天下りの予算の為に原発の必要性を説く。
原発が危険なことは承知の上だ。
その根幹には、「恥を掻きたくない!」が有る。
今までして来たことを否定するくらいなら、官僚は人類を滅ぼす。
安っぽいプライドが人類の未来より重い故に。

人間は失敗から学ぶ。
ゲームではリセットして何度でもやり直せる。長期的に見ればリスクの少ない失敗だ。
だんだんコツを掴んで来る。
人は失敗から学んで賢くなる。時に無法もしてみて色々と学ぶ。

ゲームでは個性が生きる。
体力のある者は、それを生かした適職に就く。
器用な者は、それを生かした適職に就く。
知力のある者は、それを生かした適職に就く。
これは、学歴社会の否定だ。

ゲームでは、同じ適性を持った先輩が後輩を鍛えサポートするギルドを作る。

良い大学を卒業した者が自由に職業を選べる。・・・それが学歴社会。
文部省が、
ゲームを敵視するのは、「学歴社会の不自然さ」に、気付かれたくないから。