日頃から「祈りは意味ない」って言っている。
まぁ、なんだ。…そこまで崖っぷちじゃなくなったんだよ。
神に祈る行為には相変わらず否定的です。
霊力の説明をしていると愛について言って来る人が居る。
彼らは勘違いしている。自分の手を動かせ、自分の手で救え!
神に祈ってもダメなんだ。それは騙されているんだ。
宗教って、
先ず救われたい人を集めてお金を巻き上げるビジネスです。
…そして、世の中の不条理に苦しむ人達からもお金を集めます。
募金です。
代行者に神を立てるかNGOを立てるかの違いで大した違いはない。
…いや、神を立てる方は下手すると何もしていない分邪悪だ。
霊力は祈っても伸びない。
霊力をLEDに例えよう。一個のLEDでは大した光量に成らない。
自らの手で誰かを救い、感謝されて、魂が繋がり光を増す。
誰かを救うと二つの魂がお互いに増幅し合って二個以上の光になる。
まぁ一個のLEDより二個のLEDの方が幾らか明るい。
魂とは、そうやって他の魂と結び合う事で強く輝く光になる。
閑話休題
タイトルの思いは力になるとは、どういう事かとい云うと、
魂には願いを叶える力がある。その力は誰にでも有ると言う事。
先日も書いた様に、魂とは鉱物生命体である。
流れ星に願いを唱えてみても、なかなか叶うものじゃない。
自分の内に宿る星の力を利用しないのは愚かだ。
しかし、祈っていてもダメだ。時間の無駄だ何の役にも立たない。
人は誰も、神の欠片を持って産まれてくる。
この神の欠片が鉱物生命体で、鉱物生命体は願いを叶えてくれる。
鉱物生命体は、望む未来を引き寄せる事で叶える。
「人事を尽くして天命を待つ」と言うべきか?
無理だと思っていても諦めずに続けることが未来に繋がる。
祈ってないで出来ることを始めよう。