卒業する信吾 8 
                  清水景允

 信吾は、年が明けて、この年の7月に修学旅行の引率である。
しおり作り、副担任として修学旅行の準備をしていた。
 修学旅行の当日が来た。
旭川駅に朝8時半に集合である。
信吾は、工業化学科の担任を輔佐し、生徒の出席状況に目を向けていた。
必ず遅刻して来る生徒が居る。旅行中、その生徒達に目を向けていれば、全体を掌握できる。案の定、日頃から目に付く生徒が遅れて来た。
全員集合した。
担任に連絡し副団長に報告した。
列車に乗り込んだ。
初めて東京に向かった時と違った感覚が信吾の胸に沸いて来た。
・・・・・・。
 無事修学旅行もおわった。
信吾は、勤務校から、修学旅行終了後、夏休み期間中北海道教育大学旭川分校で、工業高校の教諭に任用換えの為に必要とする教科の一部を聴講し、単位を修得する様に職務命令が出た。
教科は工業に関するものである。その教科内容は製図で、平面図から立体図を読み取り、書き上げるのであった。
この製図は後の信吾にとって、それまで、平面図のみで特許出願していたが、特許図面を書き上げる上で大いに参考になるのであった。
 
 夏休みが開け、二学期が始まった。
9月には学校祭がある。
工業高校の学校祭は一年起きに開催される。
 学校祭は各学科(工業化学科や建築科等々)が、それぞれの催し物を3年生が企画し、2年生、1年生が3年生の指示で実行する。
学校祭の終日、学校長が審査委員長として、展示内容を審査し、順位を付けるのである。従って、生徒達は大いに燃えた。

 信吾は普通科であるから、生徒は居ない。
校内では、学校祭には工業の基盤である理科と言うことで展示を期待されていた。
信吾は、理科の企画担当の責任者になった。
理科のこの年のテーマは「原子力の功罪と、省エネ乗物」と決まった。
全校生徒に理科のテーマを告示し、参加する生徒を各学科から募りその生徒達で学校祭を行なうのである。10名程の生徒が集まった。
 原子力の功罪では、原子爆弾と原子炉の模型を作り展示し、原爆と原発は同じ物であることをアピールすると同時に、原子炉の中には放射性物質が蓄積されていくことを示した。
しかし、放射能の恐ろしさを示すことについては、教育の現場では不向きと言う理由から取り下げられた。

 次に、省エネ乗物に付いてである。
旭川は雪の対策費が膨大だと聞いて居る信吾は、除雪をしなくても済む乗物を考えていた。それはモノレールである。
このモノレールは地下鉄の様に建設費が掛らず、経費の節減に役にたち、除雪費が掛らない。
また車窓からの景観も良いことから、旭川の様な地方都市には最適の乗物でないかと結論づけるのである。
 旭川空港まで旭川駅とモノレールで結ぶ。そうすると上川盆地の雄大な景色を一望することが出来る。また旭川近郊の町村及び観光地へと結ぶと人の流れが容易になり、旭川地域の活性化に繋がると考えるのである。
そのモノレールの模型を作り、理科の展示教室を一周するコースを造った。

 学校祭は終わった。
理科の展示については受賞することが出来なかった。
理由はモノレールの方は夢があり評価を得たが、原子力の方は、国の政策が原子力の平和利用を唱えている以上、罪の方が表面に出ている。とのことであった。
信吾は唖然とするのである。
國の政策だからダメだ・・・。では、どのように放射能の恐ろしさを人々に伝えれば良いのか。信吾は以後、新しい課題に直面するのであった。