卒業する信吾 14 
                  清水景允

 信吾は二つ目の質問に答えた。

 信吾は、技術教育者として「水を得た魚」のごとく現像液の中に含まれている、それぞれの物質の働き、処理の仕方等を話した。つまり、現像液の単薬を作っているメーカの仕様法を話すのであった。
 先生は信吾の話に耳を傾けて、やがて次の質問をしてきました。
「君の言っていることは分かる・・・。」少し時間を置いて「科学者が、奇麗な写真を現像するのにAと言う物質を発明したとする。科学者はその物質の性質をよく分析した結果、その物質の中に自然を傷つけるモノを発見した。
その物質を使用する事によって、環境に大きな問題が生じる可能性が予想される。この時の科学者のとるべき態度はどうあるべきか・・・。」と・・・。

 信吾は、その質問に即答することが出来なかった。
奇麗な写真を容易に現像する事が出来る理論を発見した科学者は、それを物質化にするのは科学者の本望である・・・。しかし、その物質を使用する事によって、環境汚染をもたらすなら使用することは出来ない。
 当然、科学者はその物質について環境を傷つけないモノにする理論を探すか、又はその科学理論を廃棄するしかない。しかし、科学者として自分が発見した科学理論を廃棄する事が出来るだろうか。

 信吾は、原子力発電を例に上げ考えるのである。
科学者は、E=mc^2と言う理論を発見した。この理論は質量とエネルギー(分かりやすく熱とする)の関係を示したもので、質量が小さくなれば熱が大きくなり、反対に質量が大きくなれば熱は小さくなる。と言う理論で、この宇宙空間では絶えず起きている現象である。

 この理論を、この地球上で人間のエゴイズムで形にしてはならない、と信吾は持論を持っている。何故ならば、この理論の適応される空間は膨大な宇宙である。それを、宇宙空間から見れば、極々小さな空間である地球上で形にするとなれば、地球全体が時間的経過の中でE=mc^2によって作られる副産物によって、生命の入れ物である肉体を構成している染色体が破壊され、生命の維持が出来なくなる。と、考えるのである。

 それでも、科学者が発見したE=mc^2と言う理論を技術者が形にしてしまった。
科学者はこの理論を、科学の責任において地球という極限られた空間で使用する事を禁じる勇気を科学者は持っているのだろうか。

 信吾は考えるのであった。