卒業する信吾 17 
                  清水景允


 職務のかたわらカラー写真の新しい現像法の研究を始めた。
明室現像装置は画期的なものであると評価されたが、信吾にとって、自動化することが出来ないかと考えていたのである。
 カラー写真の現像作業は、管理された現像環境の下であれば、全く同じ作業をしなければならず、白黒写真現像の様に、現像液の中で現れてくる映像を見ながら手加減で写真を現像するのとは異なり、全くの機械的作業である。それなら、その機械を作ろうと考えるのである。
 その装置が出来上がると、写真を作る者は、写真の創作に集中する事ができ、写真を作る意欲がもっと沸いて来ると思うのである。
技術教育を司る者として、ものづくりの精神がよみがえった。

 構想は、暗室で写真を創作する者が、そのイメージ通りに印画紙に焼き付け、その印画紙を、光を遮った箱の中にいれ、その箱を明室に設置されている自動現像装置にセットし、後はスイッチを入れると、自動的に現像、漂白、定着、水洗と進み、最後に現像された写真が出て来る装置である。

 信吾は「カラー写真自動現像装置の研究及び製作」と題して研究奨励費の申請を、学校の研究奨励費審議会に提出した。
 「カラー写真自動現像装置の研究および製作」についての研究奨励費の審査が終わった。合格であった。
 信吾は製作に取組みだした。
構想は出来ているから、まず図面書きである。
 
 設計図ができあがった。
設計図が出来上がると、3分に2は出来上がった様なものだ。
後は、時間が解決してくれる。

 図面と照らし、機械部品のカタログを取り寄せ、使える部品のリストアップからはじまった。
カタログに無い部品は作らなければならない。信吾は小学生の時、舟の左右対称に切る方法に気付いたと時のことを思い出した。
無いものは作るしかない。
放課後、設計図にしたがって、カタログに無い部品作りに機械科の旋盤の使用許可を機械科の科長よりもらった。
始めは、機械科の先生に手解きを受け、それから信吾の手で旋盤を操作するのである。

 作り上げた部品を含め、組み立て作業に入る。
組み立て作業はパーツ事に組み立て、最終的にその組み立てた幾つかのパーツを総合して一台の自動現像装置が出来上がる。
図面では立体図面が役立ち、その全体図の作成は教育大学での聴講した製図の書き方が参考になり全体像が掴めた。

 組み立て作業中、どうしても合わない部分が生じた。
わずか0.1mmの狂いである。
信吾の手は止まった。
 削るのに構造上、旋盤を使用することが出来ない。
手作業でヤスリを掛ける方法しかない。
その部分にヤスリで削り始めた。
皮膚に触れると危険な薬品が入っている現像液であるので、薬品に犯されない材料を使う必要がある。ステンレススチールで作った。
そのステンレスを0.1mm削るのである。しかも旋盤で削った直径10mmのステンレスを偏芯した状態で削っては最悪である。絶対に合わない。

 ヤスリの目を変え削った。
更にサンドペーパで削った。
放課後、二週間かけて削った。
軸受けに合わした。
合わなかった・・・。
・・・・・・・・・
 信吾は、思わずそこに有ったハンマーで、そのパーツを打ち壊してしまた。
作ったパーツが、スローモーションを見るかの様にキラキラ光りながら飛び散って行くのが脳裏に焼き付いた。時間にして一秒も経っていないだろう。
後に言われるのであるが、実験室の廊下を通る先生が、実験室から大きな音がするので実験室の廊下の窓を通して覗いていたそうである。
信吾は、しばらく呆然としていたが、飛び散った破片を片付けだしたので安心して声を掛けず、その場を去ったと言う事である。

 何日か、自動現像装置の製作に手を付けられず、悶々とした日が続ていた。
一週間後、またもや放課後、旋盤に向かう信吾であった。