卒業する信吾 19 
                  清水景允

 1981年9月卒業が決まった。
史子は小学校3年生、貴之は翌年小学校へ入学であった。
慶応義塾の卒業式は1982年3月に前年秋期の卒業生及び通学課程の学生を含めて行なわれる。
 1982年3月に、卒業式に参加を含めて、信吾は始め家族全員で本州旅行をすることにした。
旅行の目的は信吾の卒業式に参加することであるが、子ども達に今、使われている乗物全てを体験させることでもあった。
 飛行機で旭川を発ち、羽田からモノレールで御徒町、そこから山手線で品川、品川から京浜急行で逗子に向かい、逗子から芦名の沢田先生のところにご挨拶とお礼を兼ね二晩お世話になるのである。

 次の日、慶応義塾の卒業式である。
我々家族は神奈川県の日吉キャンパスに向かった。
卒業生は、銀杏並木の真中を通る。
父母及び家族は、両脇の歩道を卒業式会場である記念館へと進む。
信吾は真中を進んでいた。
すると、交通整理の学生が「父母の方は歩道の方にお願いします。」と言うのである。父母と間違えられた。間違えるのも当然で信吾は40歳になり、頭髪は既に白かった。
信吾は「いや、通信の卒業生だよ・・・。」と言った。
その整理の学生はきまり悪そうに「すいません・・・。」と誤るのである。

 卒業式が始まった。
大きい三色旗を先頭に塾歌斉唱の中、教員、塾員が式場に入場して来る。

見よ
風に鳴るわが旗を
新潮寄するあかつきの   (虹をよするあかつきの)
嵐の中にはためきて
文化の護りたからかに   (文化の誇りたからかに)
貫き樹てし誇りあり    (貫きたてし誇りあり)
樹てんかな この旗を   (たてんかな この旗を)
強く雄々しく樹てんかな  (強く雄々しくたてんかな)
あゝわが義塾
慶應 慶應 慶應

信吾は、思い切り声を上げて歌った。
しかし、
強く雄々しく樹てんかな
辺りから、涙を堪えるのに声が出なくなった。

 卒業證書には

  卒 業 證 書

        北海道
            富山信吾

   慶応義塾大学学則に定めた文学部
   の課程をおえ文学士の称号を得た
   よってこれを證する

  昭和五十六年九月三十日

文第二四六九号     慶応義塾大学 法学博士 ○○ ○○
            文学部長        ○○ ○○

とあった。

 慶応の門を叩いて16年目の春、卒業式当日で信吾は40歳になっていた。
こうして信吾は、慶応義塾大学文学部哲学科を卒業したのである。