日本における「情報化社会」とは何か・・・  No.4   清水 景允

 はじめに、2015年2月27日の北海道新聞朝刊2面及び3面の社説に原発事故による汚染水の問題を取り上げていました。この記事は、私がこのシリーズ「日本における『情報化社会』とは何か・・・」について考えていかなければならない問題としての出発点でした。

 前回は、原子力についてよく分析せず表面的な平和利用から生じる環境破壊について考えてみました。今回は、産業革命以後の社会状況とそれに伴う環境破壊の進捗状況を、人間の成長過程と照らして比喩的に2回に分けて考えてみます。

 人は(他の動物も同じですが)素裸で生まれてきます。初めは親の庇護の元に自然環境の中で生きて行きます。それが、幼児期には自然環境の中に適合していくために、少々硬いものを口にしても生きて行ける様に胃腸を強くし、それにともない、肉体的に身体を立ちあがり、歩くようになり自然の中を移動できるように手足が鍛えます。ここまでは、人も他の動物も同じように発育をして行きます。しかし、人はここから先、他の動物と異なる発育をして行きます。言葉を身につけるのです。

 言葉は、厳しい自然環境の中で生きて行くための知恵を発掘する手段として人間に与えられた特有のものです。その知恵が生活する場所(自然環境)が農業に相応しい場所であるなら、言葉を使用して他の人とコミュニケーションを取ながら、この土地に何を植えたら良いか、この地に水があるから稲を植えよう。と言うように、言葉を使用し学習して行きます。また、そこが農作に相応しく無い自然環境であるなら、その土地に住まいを建て生活する場とするでしょう。

 しかし、人が生活している自然環境は何時も安定していると言う事はありません。自然災害が時には襲います。その環境の急激な変化に適応できないで餓死するとか、洪水が起こりその場所が壊滅する様な事があります。つまり、人間は自然の変化、環境の変化と言うものに対して無防備な時があるのです。そこで、人は安定した生活を保とう、影響されないようにしようと言う事で言葉を使用し考えます。ここに、他の動物とは違う知恵を持った動物の出現を見るのです(ホモ・サピエンス)。そして、それが、自然の突然の変化、自然の驚異に対応するためにいろんな道具の発明へとつながっていくのです。

 このことは一体何を意味するのでしょうか。このことについて次回考えたいと思います。