退職後の信吾 20
               清水景允


 今の時代は「情報化社会」と言われている。この社会は何も今の地球上で抱えている環境破壊を解決するために生まれて来た社会ではない。この環境破壊をもたらす原因究明の為に情報を収集する手段として生まれて来た現象である。
丁度、人間が(他の動物も同じであるが)幼いとき肉体を鍛えるのに、走り回り、何でも口に入れる時期があるように、社会ではこの時期を「産業社会」と言うことができる。
 少し人間が成長し、言葉を覚え頭脳を使うようになるのだが、人間は運動の過度な行いは身体を壊してしまう。また食べ過ぎは病気のもとになる、と言うことに気が付いてくる。そこで、人間は、なぜ身体を壊すのか、なぜ病気になるのかと言うことを口伝えに知識として蓄えられ、適度の運動をすること、食にしても気をつけて行動するようになって行く。
 今までの社会は、人間が幼かった時に行なった行動のように、行き過ぎた「産業社会」の弊害として環境破壊という形で病める社会として現れて来たのである。

 1960年代中葉から、欧米の哲学者、科学者、教育学者、宗教学者、文学者達が、当時の環境破壊の原因は何処にあるのかと言うことから、原因究明に当時軍事用に開発が進められていたインタネットを利用し、情報の収集に勤めた。結論として、この環境破壊の原因は「産業社会」に起因があるとして、Post Industrial Society すなはち「産業社会の後にくる社会」を探し求めだした。
 日本では、このポスト・インダストリアル・ソサエティーをその方法論から「情報化社会」と言われるのだが、あくまで「産業社会」の次に来る社会を言っているのではない。
 「ライフサイエンスの哲学」の中で言っているように、古代から中世、中性から近世へと大きく歴史が変わったと同じように、この問題(環境破壊)を通じて現代が、さらに次の大きな新しい、違った価値観、違った社会観をもった歴史的な観点に移っていく、あるいは少なくとも、そういう文化が必要となるのでないかと・・・。

 信吾は考えるのである。
「産業社会」は利権で擁護されている社会である。その利権を剥奪する行為はアンタゴ二ズム(敵対意識)を生むだけである。正しい情報の下に利権に触れること無く「産業社会」からの脱着できる時代が来ていると考えるのである。その社会は「水素社会」であると・・・。

 そのためにも信吾は金曜日に街角に立つのであった。

 大雪山  終わり