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きまぐれ倉庫番報告『しん♪』の小言 in BC DN PSO2

オンラインゲーム「ブレイドクロニクル」「ドラゴンネスト」「PSO2」をプレイしている「しん♪」です~^^
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ブレイドクロニクルは『(C)Aiming』ですよ~♪
ドラゴンネストは『(C)NHN』ですん~♪
PSO2は『(C)SEGA』ぢゃ♪

ばれんたいんも終わりましたね。

本命チョコ、義理チョコ、友チョコ・・・チョコが飛び交う季節ですね。
友チョコって良いですね。義理チョコって良いですね。
いやぁ、すばらしいイベントがあったものですよ。

私もチョコまみれで体重が気にn(ry
・・・げふげふ。甘いもの好きな私には嬉しい季節ですね。


チョコといえば、ベルギーチョコ、GODIVA万歳な私ですが・・・。
(国産ではロッテガーナやブルボンが好きです。Meltyシリーズも好きです。ぶっちゃけチョコなら好きです。)
今シーズンは、GODIVA食べてません(ーωー;;;
食べたいよGODIVA、食べたいのよゴディバ・・・。。。
と意気消沈の中、アメンバの方がこんなブログを・・・。↓
引きこもりバレンタイン。<ほのぼのライフ ~専門学生編~>

GODIVAぁ・・・・・・orz


・・・残念無念。
気を取り直しまして・・・。

今年食べたのはGODIVAに引けを取らないベルギーチョコです。

ご存知の方も多いかもしれません
Leonidas
のチョコレート。

昨年は
創業100周年を記念し、
北海道旭川や名古屋にも店舗ができ、
ベルギー王室御用達のチョコレートとして公式認定されたことで、
話題になっていたチョコです。

ヨーロッパにチョコを広めたのはスペインです。
そのため、近年はスペインのチョコも日本で流行っていましたが・・・
CACAO SAMPAKAとか・・・
いや、ここもめちゃくちゃ美味しいんですけど・・・

やはり、ベルギーチョコですね。
めちゃくちゃ美味しかったですよ♪*^v^*

トリュフもプラリネも美味しくて、今年も幸せでした☆

手作りも美味しいですけどね、生トリュフとか。

でもやっぱり、量産されてても美味しい物は美味しいのです。

Leonidas。
ぜひぜひ皆様もご賞味あれ♪


ちなみに、他にはルタオやゴンチャロフのもありましたね。あとはリンツのも。

今年はモロゾフやメリーは無かったですねぇ・・・。

帝国ホテルのチョコレートとか食べた事ないけど食べてみたいですねぇ・・・誰か贈ってちょうだい。ホワイトデーでいいから。
「絶対、そんなことできるわけないよ~。」
「『絶対』なんてないわ!」
「いや、『絶対』的なことってあるよ。」
「いや、ないね。」

・・・子供の喧嘩みたいですねw
「いつ?誰が?どこで?地球が何回回った時?証拠は?」とか。
今思えば、覚えたての言葉を言いたいだけやん、と思ってしまうバカバカしい言葉の押収ですね。

でも、きっと、『絶対』という言葉について考えると、
哲学的で、深い考察を得る事ができると思います。


さて、人は考察するとき、論理的に考えると思います。
『感情』も感情論という理論で、論理が適用できると考えると、
理性的な人間の行動や、人間が観測できる自然現象については、すべからく論理的であると言えるでしょうし、
「論理」という道具で、情報を整理できるということですね。

もちろん、衝動的な行動もあるでしょうし、すべての自然現象に対して人間の論理が当てはめられるとは思っていませんが、
人間は、観測的、時間的存在であるとすれば、やはり、人が観測する人間主観な捉え方について、論理を適用できるのかもしれません。人が何かを理解し、思考する上で、論理が前提となっているからですね。


・・・何がいいたいかと言いますと、
人が何かを考察して、物事をとらえたり理解しようとすると、『論理』が前提となります。

最初に例をあげた『絶対』という言葉は、あるのかないのか。
これについて、論理的な結論を、1つ提示させていただきましょうか。

結論:
『絶対』はある が 『絶対』はない

・・・ぷw
我ながら意味不明w

うまく書けませんねw


『絶対』はそもそも程度を表す言葉なので、それ事態の有無を論じる事がナンセンスだと、
私は考えているので、、、


ようするに、この命題は、論理のすり替え、論点をずらした、議論と言えるのかもしれません。
厳密には、前提をすり替えた、とでも言えるのかもしれませんが。


論理的に考えるには、
推論、という言葉があるように、論理と論理を組み合わせて、新しい論理を導く、
という方法が多くしられていると思います。

論理を展開、結合することで、結論を導く、ということですね。

ところが、他人と会話していると、多くの場合、
認識の食い違いが起こりますね。
一人で考えていても、同じ考えがくるくる回ることもあります。

これは、論理的に考える上で大事な
『前提』『仮定』『背景』がボヤけているから、ということも少なくありません。

あらゆる理論には『絶対』はなく、その反対も命題として提示する事ができます。
前提や仮定が変われば、命題の真偽も変わるでしょう。
これが『絶対』はない、という部分。

この『前提』『仮定』『背景』。
一番難しいのは意識できていない『公理』を意識することだと思います。

『公理』系は、論理の土台であり、論ずる上で『絶対』のものです。
これが崩れると、すべての理論が成り立ちません。
これが『絶対』はある、という部分。

たとえば、
『整数を1から100まで数えるときに、1の次は2 である。』
という命題。

これは『絶対』だと思いますか?


『絶対』だと答えた人は、
「整数」「1」「100」「数える」という単語に、共通の公理系・認識があるからです。

整数は、1、2、3・・・と数えるものである。といったいわゆる『当たり前』なこと。
これは『絶対』なのです。

逆説的に、公理系を変えれば『絶対』ではなくなります。

「整数は、1、4、6、3、5、2、8、9、7、10・・・と数える」という公理系で物事を考える人は、
1の次は4なわけです。

人と話すときに話や意図が通じない、という時は、お互いが「あたりまえ」「当然」と思っている事柄が、違うことも多いのだと思います。


つまり、『絶対』的な何かの上で考える時、『絶対』だと言える命題はなく、
また『絶対』的な公理系を否定することはできるため、その『絶対』性はより大きな公理系の中では『絶対』ではない。

「『絶対』はあるかないか?」という議論をする上で『絶対』はあるけれども、
議論の上では「(ただ漠然とした)『絶対』はない」。

仮定を絞れば絶対なことはあるでしょうが、仮定を疑える、変更できる場合では、絶対は揺らぎます。
疑えない、変更できない「公理」についてのみ、絶対は言えます。

ただ、議論をその「公理」の外まで拡張すれば、その「公理」だったものは公理でなくなり、絶対ではない。


・・・ふふふ。言葉遊びの世界かもしれないですが、論理を論ずる上で、仮定や公理といった前提を正確に認識することは大事な事です。

結局、ある『公理系』についての絶対性・正当性・無矛盾性は、その『公理系』の中で論じることはできず、解を求める事ができませんよね。

『絶対』という事象があるかどうかを論じる事は、論じる事がナンセンスなんですよ。

論じる以上、『絶対』はあるけれども、その『絶対』以外の『絶対』はないんです。

同じ『絶対』という言葉ですが、論じる間にでてくる『絶対』という言葉の定義やニュアンスは、同じ物ではないということですね。


言葉遊びで、不思議な気分になるのは、こういった定義や公理が曖昧なものが、言葉の音だけで同じものだと錯覚してしまうものだから、なのでしょうね。

落語の世界も同じような物ですね。
大喜利の世界など、音は同じでも意味が違う、といったトンチや洒落は基本ですからね。
正直、あんまり興味ないんですよね、五輪(ぉぃ

でもまぁ、なんとな~くテレビをつけてたら、なんとな~く観てしまったのが、
「スノーボード 女子スロープスタイル」

なんか色々、小さい感動がたくさんでした。


全員の1回目と2回目の演技をみました。

みんなすごいですね。きれいですね、動きが。
フィギュアスケートとかも、テレビで観た事がありますが、そういう綺麗さとはちがいますが。
さすがプロフェッショナルですねぇ。


特に2つ、感動というか、興味深かったことがありますね。

1つは、
予選TOP通過で、演技の順序が最後だった人。
オーストリアのアンナ・ガッサー(Anna Gasser)さん。

この競技、雪山の坂を下り降りながら演技をするんですね。
コース前半は障害物3カ所。コース後半はジャンプ台3カ所。
これを2回ずつ滑って、審査員による得点の高い人が優勝。
(ただし、2回の内、高い方の得点がその人の得点)

1回目の演技時に、スタートのタイミングを間違えるというハプニング!
スタートのタイミングじゃないのに、滑り出してしまって、自力で上ろうとするのだけれど、
でも坂は急で、しかももちろん雪山なので、滑ってしまって上れない。。。
なんて、おちゃめなシーンがありました。

しかも、その動揺が仇となり、ジャンプも失敗、最後のジャンプ台は避けて通るといった、残念な結果に。

そんな中、2巡目の演技が始まり、
アメリカのジェイミー・アンダーソンさんが95点を超える高得点。
その時点で2位が92点くらい、3位が87点くらい。
1巡目のTOPが86点くらいだった気がする。


最後の最後の滑走。
1回目はトラブルで低得点。
予選はトップ通過。
なんかドラマが起こる予感!!

前半、すごく綺麗なスタート。私はガラにもなく、心からおーって思いましたよ。
・・・まぁ、最終的に後半のジャンプでまた失敗しちゃって、残念な結果になっちゃったんですが・・・。

でも、すごく格好良かったですよね。
スポーツ観て感動するということを、久々に味わえた気がします。


2つめに、
演技を終えた選手達が、一人演技が終わるごとに、
仲良さそうにハグしてお互いを讃え合ってたんですよね。
・・・まぁ、なんて話してるかなんてわかんないですが。。。
言語も違う人たちのはずなのに、仲の良い友達みたいに、お互い笑い合ってたんです。

ライバル同士、険悪になることもなく。
(心の奥ではどう思ってたかは定かではありませんが。。。w;)

すごく微笑ましいなぁ、と思うと同時に、
なんか不思議な光景だなぁと思いました。


・・・なんかいいですね、スポーツ。


ま、私はスポーツすると体がバラバラになっちゃうので、観る専門ですけどね、はい。