価値観の境界線を意識してみませんか | きまぐれ倉庫番報告『しん♪』の小言 in BC DN PSO2

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価値観の境界線って難しいね、というお話。


価値観ってひとそれぞれだけれど、その違いって結局は、
境界線をどこに引くのか、が違うことがほとんどだと思います。

人は色んな物事を、それこそ色んなものさしで計ります。
人によってものさしの種類や大きさ、メモリの間隔、単位が違うと思います。
さらには、複数のものさしを同時にごちゃまぜにして、計る事もたくさんあると思います。

例えば、美しい美術品を見た時の感想は、
「美しい」と感じるにも色々な美しさがあります。
その種類や角度は人それぞれですよね。

でも、その中の一つを取れば、皆、同じようなものさしがあると思うんです。
もちろん、境界線は違うでしょうが。
以前記事にしましたが、現代の人は、言葉にしばられた生き物なので、
言葉で価値や間隔を表そうとすると、たちまち言葉によって支配されます。
言葉には共通の認識として共通の意味合いがあるはずですよね。

わかりやすいところでは、
気温が暑いか寒いか、のものさしの種類は、人によって(多くの場合は)違いはないですよね。
ただ、暑いと感じるか寒いと感じるか、といった基準、ものさしで言うと目盛りの大きさや長さに通じる部分、が人によって違うということだと思います。

少し解釈を広げると、、、
「極論」を持ち出して、極端な例を挙げて共感を得ようとする行為。
これは、同じものさしを使おうよ、という歩み寄りなわけです。

例えば、
「他の人が嫌がる事はしちゃだめよ」ってよく子供達を躾けますよね?
でもこれって、人によって基準が違うじゃないですか。
極端な例として、暴力を振るう、殺す、とか挙げますよね。
もしくは「○○ちゃんが大好きなケーキを勝手に食べられたら嫌でしょ?」といった身近な例を出すでしょう。


まぁ、以上の例には賛否両論あると思いますがw例は例なのでw



さて、ものさしのあり方について、考えを述べたのですが、

その物差しの両端にある感覚・意識・価値というのは、大体の場合、対極なものですよね。
暑い と 寒い、もそうですし。

ではどこからがその変わり目になるか、と聞かれると、困りますね。
ものさしの真ん中付近では、極端に言うとどっち?強いて言うとどっち?ってなっても困りますよね。

この境界線。

もっと対象を絞って言えば、

快 と 不快 の境目。
良 と 悪 の境目。
納得 と 不服 の境目。

この曖昧さが、人とのコミュニケーションを難しくしていると思います。

暑さ 寒さ のものさしに対しても、人は「本能的な感情=快・不快」に近しい物差しを並べることが多いです。
暑い・寒い、と感じる事柄に対して、無意識の中で、快・不快も感じている事が多いと思います。
・・・厳密には、不快な部分でより強く感じていると思います。

この基準が、ある種の「価値観」ですね。
どちらかといえば、狭義の価値観ですか。

何か物事をとらえるときに、意識して、この「快・不快」という物差しを並べるのをやめて、もとのものさしだけで計ってみませんか?

そうすると、客観的に物事を捉えたり、自分の感情を整理したり、などなど、
やりやすくなると思いますよ。


食べ物の好き嫌いも減るかもしれません。
嫌いな物を食べるときに、
「好き」「嫌い」と感じる部分を封じて、
「どんな味か」というものさしでその食べ物を分析してみてください。

「好き」「嫌い」の評価が変わるかもしれません。


価値観には、色んな境界線があります。
厳密には、線というより曖昧な領域で存在しているような帯だと思いますが、、、
この境界や、ものさし(価値観)そのものを、少し意識してみませんか?

人を理解したり、自分自身を見つめ直すきっかけになるかもしれませんよ。


疑う事無く、今回の記事もスルー推奨です(w;