初めてbjリーグを見た。
沖縄が強いというのだ。
そして、初優勝。
素晴らしい事だ。
もっと素晴らしかったのは、会場には子供たちが多かった事。
この子達が、ハーフタイムの間にその辺で興奮してマネごとをしている。
未来の選手達がここにいた。
今はまだ小さいリーグだけど、どんどん大きくなるといいなぁ
今しがたダヴィンチコードを見終わったけど、原作と比べて
「大丈夫か?!」
というくらい、簡略化されていてどーも。。。
前にも同じ経験をしたけど、原作を読んでから見る映画は、つまらなく感じる。
今まで見てきた映画のうち、面白かったものも原作はそれ以上に面白いのかも。
巨大化にあこがれる。
巨大になりたい。
思えば、人は巨大へのあこがれがある。
ウルトラマンやガンダムなど、いずれも巨大だ。
ゴジラは、核実験によって巨大化した生物だという。
ハリウッドでも、クモやサメやヘビを巨大化させていて、巨大への憧れは国境を越える。
巨大になるには、質量の問題がある。
今の10倍の大きさになっても、体重を代えるにはそれなりに食べなきゃいけないということで、自分の体重より食べる事はできないから、それは無理なのだ。
立方体の容積を計算するとき、高さと奥行きと幅を掛け算するように、人の場合も3次元的に体重の増加をけいさんしなければいけないから、身長が10倍になったからといって、体重は10倍ではないのである。
では、体重をそのままに巨大になるとしたらどうなるか。
うすくなるのである。
ふわふわとした存在になる。
まぁ、まともに生きてはいれない。
でも、世界中で想いがあつければ、いずれ別の形で叶うだろう。
オシャレな人がダサいTシャツをたまに着ると、おかしなオシャレになって、ウケが良かったりする。
一方、ダサい人がたまにカッコイイTシャツを着ても、やはりダサい。
ファッションは着こなしと、普段からアンテナを立てているオーラのようなもので成り立つのかもなぁ。
今日は前のメンバーとあったけど、業界厳しそうだなとおもいましたね。
頑張りのベクトルだよなぁ
古来より、権力者は自分の歴史を記録する事に終始した。
それは人々の憧れであり、歴史そのものでもある。
現代人はそれを身近に手に入れてしまった。
ブログがそうである。
人は、心のどこかに自分の全てを記録しておきたいと思うのではないか。
毎回食事を記録する人や、行った所、見たモノ全てを記録する人が後を立たない。
人がみて面白いかどうか、自分が後で見返してためになるかどうか、それはまったく問題ではない。
記録したいという欲求なのである。
動物には三大欲求というのがあるけど、この手の欲求は第二の欲求といえる。
楽したい、趣味に没頭したい、などいった欲求と同じ。

しかし、100年も200年も経てば、それは歴史になる。
大変な物量で、解析するのがめんどくさいだろうなー。
気が付けば、もう5月。
ゴールデンウィークなんて、まだまだ先の話だと思っていたら、もう終わってしまっていた。
この勢いだと、9月の連休もあっという間にすぎさるんだろうな。
9月が過ぎたら年が明けてしまって、残された時間はどんどんなくなる。
世の中には魅力が一杯あって、やらなきゃいけない事をなかなかさせてくれない。
人はこれは「悪魔」とか名付けちゃうことで外的要因とし、意図も簡単に屈してしまうのである。
そうはいっても、やはり時間は無常なもので、待ってはくれない。
時間が過ぎた後に来るのは、不安を乗せた時間で、これまた少しも待ってくれないから、次にやってくる不安はさらに大きいし多い。
ジョジョの奇妙な冒険の第三部で、

「人は安心を得る為に生きている」

というセリフがあって、なんだかすごく悔しい。
あくせく働いて、あせって競争して、得られるのがつかの間の安心。
でも、次の時間にはまた不安がくるから、止まる事は許されない。
しかし、本当にそうなのかな。
まぁ、自分自身こんな考えを定期的に繰り返していて、不安を感じる事で安心を得ているのだから、まったく努力していない事になって、結局のところ不安も安心も実際には無い概念なのかなと思ってしまう。
問題は、確固たる自分という事なのかなぁ。
映画デスプルーフを見終わった。
タランティーノは、いいなぁ。
いいセンスしてるなー。
人によってはつまらない映画だと思うけど、これはキルビルよりも面白い。
これはいいわぁ。