このクマ襲撃事件の続報から、
男性襲ったクマに新事実:駆除されたクマが犯人、いや”犯クマ”だと断定
現場に残された体毛をDNA鑑定した結果、新聞配達員を襲ったクマと断定され
しかも4年前にも高齢女性を襲った個体だとも判明、前科持ちだったことがわかりました。
人間でもですよ、2人殺めたら無期刑か死刑判決が出ても不思議でもなく
それを”クマだから”で「殺処分は可哀想」ってなります?
普通の感覚を持っていたらです。
ここまでがマクラで、こっからが本題、『わからないので面白い』
この本ですが、発行は去年ですが内容は中央公論に書かれた小論文で
20年以上前に書かれたものが多く、一番新しいんぼでも2007年に書かれたもの

にもかかわらずです、今にも通じる事例を、まるで予言していたかのよう。
というか、この時代から進行してたんですね、それを言い当てただけのこと。
「クマがかわいそう」のような思考形態を養老先生は
「脳化(脳化社会)」「脳の都会化」と表現。どういうことでしょうか。
脳の都市化:都市というのは意識の産物で、部屋は冷房、証明は人工
トイレは水洗と管理したがり、”思うように管理できない”虫など自然を排除する。
赤ん坊、子どもも育ててみなければ先行きが不明という点で自然の存在です。
子どもって突然熱を出す、病気になる、すると共働きではどちらかが会社を
休まなければならなくなる。
それに自分が思い描いたように育ってくれるとは限らない、
よって予測が出来ない子育ては、自分の人生においてリスクでしかない
そんな危ないものとは関わらないほうが無難と考え、子どもを産まない人も出てくる。
都心のビルはどこだってそうでしょ、建物の中には無意味なものは置いてない。
石ころは転がってないし、ミミズもいない。
そういう世界を作れば当然、人間は”無意識でわかる正しさばかりに”突っ走ります。
養老先生は実体感、実在感体験の不足、欠如を指摘、カメラ・写真を例に挙げ
物理的な光のある状況を映していて、写真はある意味で光のいたずらとも言える。
でも、世界には光のあたっていないところもあり、写真の背景には映っていない何かがある。
ものの実体感、実在感がある人は、その映らなかったものに思いを寄せるけれど
子どもの頃から自然に接していない今の人は、”実体感が希薄だから写真に
映っているものがすべてになってしまう。”(←ここ重要ね)
クマに話を戻しましょう。
私も実際に「ナマのクマ」を見たことはありません。
ありませんが罠の檻の中でよだれを流しながら鋭いばーきー(牙)をむき出しに
大暴れし、その手のエグい爪を見せつけられると「コイツはヤバい」くらいは
わかりそうなものだが、TVなので実際に人をクマが襲う映像があったとしても
決して流されることはないですよ。
だが先生のおっしゃるような実体感、実在感のない(主にサヨク脳、偏見込みで)
人にしてみれば、自分の脳内イメージのクマが全て。
自分の知ってるクマなので、実際に人をクマが襲う映像はないのだから
「クマ=害はないはず」と勝手に脳内変換する、それが先生のいう「脳化社会」
ということなんでしょうね。
ガリ勉タイプに多そうな(笑)、自分が知ってる”机上の知識”、映像が全てで
そこには自然、現実世界、実態がスッポ抜けている。
自分の知っている(脳内)世界こそが全世界、なのでこんな頓珍漢で素っ頓狂な
ことを恥ずかしげもなく言ってのけてしまうロジックかと。
先生は最後にこう言ってのける、
「人間の脳なんて所詮1500g前後、そんな脳で考えることなんざ、たかが知れてる」と、
m(_ _)m