精神的に非常に疲れましたが、どうにか無事に送れたのではないかと思いたい。 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:苫田郡鏡野町 奥津渓

ブログで2回ほど書いたでしょうか、認知症の進んだ伯母さんが、7月1日逝去からの
今日の本葬まで。


アルツハイマー型認知症が進み、最期は肺炎が悪化したのが死因。
やはり、コロナ禍期の全く面会すら拒否された3年間の間に、かなり病状が悪化したとのことでした。

前もって「喪主をやれ」と指名、これでも一応、本家の墓守りなんで。
そすて1日、連絡が入ったときもウチ以外、全員遠方なもので、施設から葬儀場まで移送するのを
見届けてほしいというので大雨の中、弟の運転するクルマで向かう。
 そろそろ危ないからって事前に住職さんにに伝えず、突電でしたけど
すぐに枕経を上げに行くと。
書類に色々と書く作業も兼ねてというのもあったみたいで。
ここまでが1日

翌日2日が友引なので晩にお通夜、その前に式の様式を決めるのを伯母さんの実兄夫妻と同席。
棺桶のランクから骨壺の種類に添え物・飾り花まで次々と決めていく。
今日の本葬、表に電光案内板が出てたので「記念ってことではないが撮っておいて」と。


最近はどこも家族葬ばかりでお葬式自体、参列したのは久しぶり、喪主ということもあって疲れる。
といっても千円合わせても9人なんですけどね。
待つこと90分で焼き上がる、十年以上前だな、最後に焼いたあとのお骨を見るのは。
焼いたあとに出てきた右大腿骨辺りの骨をつなぐ時の保器具と、股関節部から
丸い黒く焼けた鉄球が。
これらもコロナ開け期の認知症がかなり進んだとき、ベッドから落ちで骨折した時の跡だと。
実兄夫妻以外、だ~れも知らなかった情報が出てきたりで。
オカンの初盆に出席、最期に見た以降の約24年間の空白期間のマウスピースが一つ一つ
嵌っていくような感覚?
なにを思い、なにを感じてたのか、楽しそうだったのか、そうでなかったか等々・・・

10年先か20年先か、はたまたそれ以上だとしても、そう遠くない未来、
自分もあの姿になるのかと思うとどっと疲れる。
そんなもん、私以上に年上だらけの参列者も、あとになって同じようなことを考えながら
拾ってたらしい。

年賀状で宛先を書いてるとき、一度伯母さんが住んでる大阪の町に行ってみたかったですね。
こっちに引き上げるとき、そのマンションも処分したらしいが、その場所
「喜連瓜破」
最寄り駅から徒歩5分の便利な場所だったらしい。
この珍妙な地名に惹かれません?響きといい、”きれうりわり”ですよ。
宛先は残ってるので、思い立ったらいつでも行けるっちゃ、行けるんですが。


あれなんですね、知らんかったわ、納骨までの49日、お寺で預かって7日ごとに
お経を上げるのが主流なんだってね。
ま、オカンの時は当時珍しく自宅でやってそのまま帰ってきたから骨壺は自宅で保管
7日ごとに上げに来てたのを覚えてたので。
ま、あの時代、母方の親戚も近所に元気でいてくれてたのでね。

火葬場からお寺に直行、そのまま初七日終え、置いてきたのだが、そこで驚いた光景が。

先客が7人、有り体に言えば、”色とりどりの骨壺が7個、すでに陣取っていたのだ。
檀家は100家足らず、決して多いとは言えないが、そんな檀家数なのに骨壺7個
今回ウチのが加わって8個、なんだろう”多死社会”を垣間見た気がして。
今月の津山市民報にも、先月の死者数62人に対し、新生児数12人って。
ウチのは津山市じゃなくて隣町なのでカウントには入らないのにこの数字。
報道にもどこか嘘っぽく・大げさに思えたんだが、さほどおおきくもない仏殿に8個の骨壺が並んでるって。

そんなことで、お盆は大忙しだと住職。
そんな中、”48日め”に納骨の日取りも決めてきましたが、私には宿題が残されました。

遺体を施設から引き取ったとき、衣類にタオルなどの日用品を一切合切、
レジ袋にして8つ分と大量。


これを仕分けして使えるものと捨てるものの選別作業が。
タオルなどは構わないでしょうが、女性ものの寝間着や下着は処分に回ります。
ま、衣類は「燃えるゴミ」で出せるのでさほど苦労もないですが、早速です。
未開封のティッシュボックス5個を発見!
ちょうど切れてきたので買い足ししなきゃ、と思ってたところにちょうどイイ。


これは作業代と思って頂いておきますが、今日は疲れました。
昨晩も色々思うところがあって、蒸し暑い熱帯夜もあって3時間ほどしか寝られず
今日は早めに切り上げて就寝したいと思います。m(_ _)m