少し間が空いてしまいました。
掲載されたのが『新潮45・昨年の8月号』でしたから
かなり古くなってしまいましたが、せっかく書き残して
そのまま捨ててしまうのももったいないので、在庫処分では
ないですが、サラッと読んでいただいたら幸いです。m(_ _)m
原爆を落とされる国に誰がした
私は昭和十三年の生まれだから日中戦争の真っ只中で確実な戦中派だ。
ただし世代でいえば戦後焼跡派に属している。
世代として重要なことは、進駐軍の米兵を目の当たりにして
アメリカに対してあこがれと忌避の両方を持って育ったことだ。
東京がまだ平穏だった昭和十八年には、芝にあった伯父の骨董店の
二階から、山本五十六元帥の国葬を見物している。
アッツ島の日本軍守備隊玉砕の話は聞かされていたが、
まだ子供心にはそれほど深刻なものではなかった。
身にしみて戦争のこわさを知ったのは、登下校の際に艦載機グラマン
の機銃掃射を喰らってからだ。
湘南に住んでいたものだから、夕方になるとB29爆撃機の大群が
帯のように列を作り富士山の上空で方向を変えて飛んでゆくのが見える。
空襲で東京がやられ横浜がやられ、その夜は東の空が真っ赤になる。
大人たちは黙って空をみあげている。
喋ると警察にスパイ容疑で逮捕されるのだ。
サイパン島が陥落した日本人は全滅したという。
沖縄に出撃した義烈航空隊は、乗ってきた登場機を燃やしてから
米軍陣地に突撃するのだという。
日本人は全員が死ぬのだと聞かされ、ぜったい最後の一人には
なりたくないと思った。
次々と殺し合えば死ねるが、最後の一人になったら誰も殺して
くれないことになる。子供だから自殺を知らないわけだ。
マッチ箱一つの爆弾で都市が壊滅したという。
敗戦で菅沼海岸に上陸してきたアメリカ兵からガムを貰って甘さに驚き
米軍に接収された邸宅に並び残飯をめぐんでもらい飢えをしのいだ。
平和に暮らす人々が殺され住み家を燃やされ文化財を破壊し
何が日本帝国だ。
原子爆弾を落としたアメリカを責める前に、落とされるような国家に
誰がしたのだ。
昭和を生きた私が言い残すことはただ一つ
日本は絶対に戦争をしてはならないということだ。 m(_ _)m