67万人差、在園児は保育所増・幼稚園減…総務省統計
総務省統計局が3月10日に発表した「日本の統計2016」によると、幼稚園の在園児が減少傾向、保育所..........≪続きを読む≫
小学校に上がる寸前まで大阪に住んでた事は前に書きましたね。
東成区は深江、布施在住のおばさんのつてで、借家を安く借りる
ことができて深江幼稚園に通ってました。
深江と布施は、歩いていける距離で、おばさんとこは犬を飼ってた
こともあって、毎週のように遊びに行ってましたね。
そんな話はどうでもいいんですが・・・
幼稚園、あまり好きじゃなかったせいか、それほどの記憶もない
んです。
歌とかお遊戯を『やらされる』のが、どうも性に合わないというか
「こんな幼稚で恥ずかしいことできるか!」ってなもんでした。
よって、幼稚園内での記憶がほとんどない。
通園時、行きはオカンが一緒に行ってくれたんですが
帰りは、一緒の方角の子と帰路についてたように思います。
それで不思議な事に、帰宅してから家にいた印象ってのが
全く思い出せないんですね。
多分ですが、近くの公園に遊びに行っていたか、近所のお姉さんや
お兄さんとこにお邪魔してた記憶だけは鮮明に覚えているんです。
よく遊んでいただきました。
大阪時代のオカンは専業主婦ですが、今のお母さんのように
見守りのために、公園につきっきりってことはなくて
一緒にいる年上の子が見てるとか、どこかの子の母親が一人ないし
二人ぐらいで公園内の全部の子を見てたような気がします。
狭い道を挟んで、長屋の寄せ集めのような借家の通りですから
どの世帯の家でも年頃の子供がいたとかいうこともあったでしょうが
この子は「OOさんとこのOOくん・OOちゃん」って全員が
知ってて、「うちの子、見かけました?」と尋ねるとほぼ、
すぐ分かりってな感じだったでしょうね。
「公園にいたよ」とか「OOさんちで遊んでるよ」って感じで
晩ごはんが出来たぐらいに、公園や近所の家にオカンが迎えに来てた
印象は強く残ってます。
何がいいたいか?って、幼稚園には通っていたが、その地域のこどもは
地域(コミュニティ)全体で見守り育てていたということ。
お互いが助けあって、こどもも分け隔てなく、ご近所さん全員で育てて
たということです。
この時代には、まだ健全な共同体・コミュニティが存在してたということ。
そういえば、共働きという世帯もあまり見かけなかったような気も・・
なので、保育園がなくとも誰かが見守っていたので今ほどの必要性も
なかったのかもしれません。
ちなみにこの話、次に繋がる『前振りの話』ですから・・・m(_ _)m