昨日の更新が遅れたわけ・前編 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

昨日のブロクの更新が遅かったのをお気づきの方がいらっしゃる
かどうかは、わからないのですが、実は急用ができて出払ってました。

このブログにも何回か登場している、よく野菜をくれる3件隣の
「I田さん」とこの、お婆さんが亡くなられて、講組ということも
ありお通夜の受付をしてからの、少しお呼ばれして帰ってきたのが
9時を回っていたということです。

このお婆さん、数年前に肺炎をこじらせて瀕死になってからと
いうもの、すっかり弱ってしまって、その後は病気のオンパレード
要介護5で施設に入っての、ほぼ老衰状態でしたが
米寿を少し過ぎたぐらいですから大往生と言っていいでしょう。
私が小学生の頃、近所のよろず屋だったこともあり、面識のある人
でしたので、少しばかり感傷的にはなりました。

昔ほどではないにしても受付も結構忙しくてね。
昔はそれこそ自宅でやった場合、親族に対しての三度の炊き出しと
世話、掃除に設営と、そりゃもう大変でした。
いまは斎場で行うのはほとんどですが、それでも受付で芳名記入を
案内し香典を受け取る、受け取った香典数と同じだけの立飯を
渡す、それだけでも結構忙しいんですよ、やってみると意外とね。
香典あるあるが、袋にお金を入れ忘れるケースが結構あること。
今回は3件ありました、渡したあとになって「入れ忘れてた」って
気づいて持ってくる人が3件あったということです。

両親が健在の場合、細々した部落の用事は高齢でもやってくれるの
ですが、両親が比較的若く逝去した小生、好むと好まざるとに
かかわらず、こんなポンコツでも家長としてデビューせざるえなく
30台初頭から数々のお葬式に参列し、講組として雑務もこなして
きて、医療関係・葬儀者を除いても結構な数の死者を見てきた自負
はありますし、逆にそれが良かった面もあったと考えてます。

たいていは高齢者、それも長患いからの要介護者のケースが多く
言葉は悪いが「やっと亡くなって肩の荷が下りた」というのが
遺族としての本音が大部分でしょうが、そうであっても肉親者
であり、喪主の挨拶や出棺時には見ていてウルッとくる方は
少なくないんですね。

そんな中の数々の参列の中でも、亡くなったのが年少者だった場合
の葬式での景色は忘れられないんですね。
これからの話しは、過去にブログで書いたことがあるので
重複しますが、一つ目は「裏のM島さんち(享年5才だったかな?)」
の坊やのケース。
生まれながらにして先天的に重大な欠陥があり、生まれてすぐから
ずっと病院ぐらしだったそうでまず、帰宅したことがほとんどない。
なので、ずっとその日が来ることを覚悟はあったのでしょう
泣き崩れることもなく毅然とした両親の態度が印象的でした。

もう一つのケースは、これとは対照的で、事故で亡くされた
隣の部落の「Sさんのお坊ちゃん」のケース。
ここのおじいさんが土建屋を営んでいて、自宅そばで造成地を作業中
従業員の操縦するブルド-ザーに不用意に近づき轢かれてしまった。
即死だったそうで、当時確か年長さんぐらい
加害者も従業員ということと、過失も10:0ではないということで
怒りをその加害者に持って行くことも出来ないジレンマ。
常日頃「そこには行くな」と口を酸っぱくして注意していたのに
防げなかったことを非常に悔やんでいるせいなのか、お通夜から本葬
まで、ずっと泣きじゃくっていたのが、参列したコッチ側全員が
どうにも声をかけようがなく、見ていて一番つらい葬式でした。

辛いのは身内の葬式の中でも多い。
小生の両親もそうですが、母方のいとこも3年前に40代で亡くなり
今年自分がちょうどその歳になってしまった。
その1年後に、逝去した従兄弟の姉の入婿さんが脳幹出血が原因で
なんの前触れもなく(実際はそれとなくあったが)風呂場であっけなく
亡くなってしまったことも思い出されますし
オヤジが亡くなった年齢まであと2年で同じになってしまうまでに
歳を重ねてしまった。

ここまでは前置き・前振りです。
本当に書きたいことはここからなのですが、ここからは非常に
長くなりそうなので、続きは明日以降にでも書きたいと思います。

m(_ _)m