「カルト」とは、少し言い過ぎのようですが、「動物愛護団体」の主張が
どういったものであるか?
ブログから知ることができ、ちゃんと読んでみました。
なるほど、すべてを同意することはできませんでした。
そうですね、賛同は全体の25%程度でしょうか・・・
唯一の同意点、「毛皮」の件だけです。
防寒具も発達して、素材のミンクも養殖ものとはいえ、今更毛皮でなくとも
ファッショナブルな代替品もあるはず、敢えて選択することもないと思います。
この一点だけで、厚は全て否定せざるおえない事案ばかりでした。
例えば、新薬開発などの場面での動物実験が虐待という主張。
残念なことだとは思いますが、その犠牲の上に、難病を克服し文明が発達・繁栄を
もたらせているのも事実。
では、新薬などの開発は人体実験で行うのがいいというのを主張されるのでしょうか?
そのロジックだと、動物愛護団体の方は一切の薬を使えないことになるのですが・・・
一切の食肉はしないというのも、自分たちだけで行うであれば結構です。
歌舞伎の海老蔵氏もTVで、一切の食肉はしないと言ってました。
「動物の念」が憑きそうで嫌なのだそうです。
そいういう考え方もあることは逆に新鮮でした。
家畜であれ、動物を食用のために殺し、切り刻むのを、「痛がっているに違いない」
というのが理由だそうですが、魚も含めているということは
「魚も痛いと感じているはず」と、お思いということでよろしいでしょうか?
それ、人間側の勝手な思い込みということはないでしょうか?
仮にそうだとしましょう。
自然界は、「弱肉強食」ということは、ご存知ですね?
では、草食動物を餌とする肉食動物は駆除の対象になりませんか?
海の中も同じで、雑魚に始まり(もっと厳密言うとプランクトンから)
だんだんと大型の魚が食べていき、最終的にはシャチ・クジラが駆除の対象に
なるのですが、それだと、「環境テロ集団・シーシェパード」の主張と
あきらかに矛盾しているとおもうのですが、どうですか?
それに、天敵の肉食動物がいなくなると、草食動物が増えすぎ、食物連鎖が
機能しなくなると環境が悪化することは実証済みですがご存じなかったですか?
私は小学校の理科の時間で習いました。
肉食はしないということは、菜食主義者だと思います。
「動物は痛いという感覚があるはず」という主張でした。
論理が飛躍しすぎと突っ込まれそうですが
「植物は切られる時、痛いという感覚がある」とは想像しませんか?
私は、「動物にその感覚があるというなら、植物にもある」と思います。
うちの庭にも植木がありますが、その都度剪定(切る)してあげないと
大きくなりすぎ、勝手に倒れて朽ちていくんです。
そういったことを含めて、「植物には痛いという感覚はない」という立場です。
最近では狂気じみた、猫などを虐殺するのは絶対ダメです!
このような個人的な快楽のみの無用な殺生は、いかなる理由であれダメです。
年のせいか最近は、牛肉を食べることもめっきり減りましたが
人は食べ物を前にしたとき、「いただきます」と言います。
それは、「動物であれ、植物であれ、あなたの命をいただきます」という意味で
「自分の命をつなぐためにあなたの命をいただきます、このような仕儀になって
しまいましたが感謝します」という気持ちがあれば、それで食肉もOKでは
ないのかと、私は考えます。