昨日のタイトルからして、「さっさと死ねるように」は正しいです!
は、少し過激すぎたようです。
私の生い立ちからくる、『死生観』はブロクで過去2回程書いていますので
『私は』の部分を省いて書いたので、誤解のおそれがあるようなので
重複する部分もあると思いますが、もう一度書きたいと思います。
>引用部分
この時の麻生氏のマスゴミの叩きよう、異常でしたね。
「ヒステリー」と言ってもいいぐらいの異常さで、至極真っ当なことを言った
までであり、でしたら「一日でも長生きしてくださいね」って
上辺だけの薄っぺらい美辞麗句並べたほうがよかったのかね。
この書き方がいけなかったのだと思います。
麻生氏の発言は、聞いてはいないのですが、おそらく長いコメントの中の
「さっさと死ねるように」と言葉尻だけ摘んで、マスゴミが煽った
ものだと推察します。
確かに、憲法13条『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利・生存権』
を保証しています。
なので、終末医療の場においては個人が、「どういう医療を受けたいか?」
は個人の決定が優先です。
私も含めて他人がとやかく言う権利はどこにもありません。
そして今現在、何が何でも生きたいとする潤沢な医療も、「国民皆保険」で
受けることもできます。ところが、です。
今までのように
「それでもこのままのやり方でいいんですね?」と、問いたかったのです。
重複しますが、私の父は25年前にB型肝炎から肝臓がん(享年49歳)
母は13年前に大腸がんからの2回の再発・転移(享年55歳)で亡くしています。
父は違いますが、母の時は死に目にも合うことができ、看取ることができました。
なので、小生のような愚息でも一応「当主」で、親戚・近所の葬式はほぼ出席、
およそですが、50人弱は出ていると思います。
その数々の葬式の中でも色々な、お葬式を体験してきました。
大往生で、あまり悲壮感も漂っていない爽やかなお葬式、
痴呆・寝たきりなど長年介護の果てに疲れ果てて、遺族もろとも
「やれやれ感丸出し」のお葬式、
そうかと思えば、真逆の小学校にも上がっていない幼児を病気・事故で亡くされた
終始悲壮感に支配された何とも言葉にできないお葬式まで
亡くなった方の年齢・生き方、遺族との関わり方で、支配する空気感も十人十色
「こうも毎回違うか」と思わずにはいられません。
ご近所さんの場合、亡くなった方との面識もない場合も少なからずありましたし
会社の同僚から親族まで、色々印象に残ったケースをかいつまんで
また書きたいと思います。
長くなりましたので、またの機会に。