しましま狼 てきとうな毎日 -3ページ目

しましま狼 てきとうな毎日

しましま狼の日常などを書いてます

どこでもらってきたのかな?

コロナの陽性反応が今週あたまに出まして

自主隔離の5日も過ぎ、ほぼ良くなりました。

 

もらってきたのは、おそらく京都へ行ったからかな?

該当しそうなのは地下鉄、お酒を飲んだレストラン、レストラン

にマスク忘れてマスクしないまま入ったコンビニとJR京都駅の

新幹線ホームくらいしか思いつかないなぁ

人が密集しているところでは暑くてもマスクしてたけどね

 

田舎にいると、屋外は別としてほぼみんなマスク

京都では、屋内でもマスクをしていない人も多数で、個人の管理

だけでは、感染防止が難しいなと思いましたよ。

 

おそらく、今回の感染は2回目、2019年9月にコロナらしき

ものに感染し、微熱が続き、咳がひどく、横隔膜が疲れた感じで

意識して呼吸しないといけないぐらい大変でした

(この頃はまだ、コロナという言葉がまだない時期)

 

今回は、自分としては39℃の高熱(普段35℃程度しかない)

喉がとても痛くて鏡で扁桃腺を見たら真っ赤かで、父親に急遽、

扁桃腺の薬を買ってきてもらい早期に直すことができました。

病院からは解熱鎮痛剤しか処方されてなかったので、そのままで

は更に長くなったかも

 

ワクチン接種もしててけど、やっぱり罹るとキツイからみなさん

んも十分気を付けて

 

京都でのことは、また書きます

岡山のICOTNICOT(イコットニコット)

で開催されている絵画展mocha展×美樹本展へ行って

きました。

mochaさんは星空と非現実的な風景が素晴らしかった

です。

美樹本晴彦さんはマクロスなどを手掛けた方で、世界

的な画家ですね。

 

写真は予約特典のクリアファイル

この元となった絵画は、とても素晴らしく、本気で欲

しいと思ってしまった。

進めてくれる方の話も上手でかなり迷いましたが、

結局、買わず。

 

だって、自分の持ってる日本刀の研ぎもあるし・・・

 

んー、でも、なんかすごい後悔してる。

以前に少し書いているが、逸見氏と足利氏の関係について

系譜では足利氏と関連した情報が出てくる

・観応元年の足利尊氏の九州征伐の従軍
・畠山基国の楠討伐での戦功による将軍からの褒美

 (将軍は、おそらく足利義満)
・足利義尚の鈎の陣での活躍により義尚からの褒美

足利氏に被官していたであろうと思われる記載となる。

室町幕府期において、領地を持っている様子はなく、幕府内や

足利将軍家の近辺にいたと考えられる。

以下は逸見氏と足利氏の関係の個人的な推測

足利尊氏や義詮が将軍職に就いていても、宗家・嫡流と認めな

い勢力が足利一族の中にあったようである。
この状況で足利氏の宗家・嫡流そして源氏の棟梁として認めさ

せるために都合の良い存在が逸見氏であったと考えられる。
逸見氏は源義光の嫡流であり源頼朝にも属していたことから、

逸見氏を抱えることにより、足利尊氏や義詮本人が源氏の嫡流

であり、足利氏の宗家・嫡流でもある権威付けができたのでは

ないかと考える。

それにより逸見は表舞台に出ることがなくなったとも言える。

あくまでも推測なので実際はどうなのかはわからないが(笑)

今日はここまで

前回の若狭の逸見氏に関連して読んだ本には、逸見民部丞と

いう人物が出てくる。

というか、ネットで調べるとこの人物に行きあたり、登場す

る書状も何枚かあり、前からこの人物を気にはなっていた。

この人物は、足利義尹(義稙)の近臣らしく、明応の政変で

義尹が越中に逃れた時の随行もいたようである。

この時、匿っていた越中の神保氏の書状にも民部丞が登場す

る。

若狭武田氏の本では、若狭逸見氏の者ではないかと記載され

ている。

うちの家は万寿丸以降、足利氏に仕えており、万寿丸から6

代後の者に
「逸見正蔵太郎 大内蔵介」
の記載がある、写し間違いとして(都合よく)解読すると
「逸見小源太仕 大内新介」
と推測。
※ちなみに大内新介は、大内氏の当主の尊名

とすれば、
足利義稙が防州の大内氏を頼った時に同行しており、何らか

の理由で足利氏から大内氏に被官先を替えたと思われる。
その前より同行していたとすれば、この人物が民部丞である

可能性はある。

今日はここまで

調べていくと色々と気になることが多く、書く内容があっち

へ行ったり、こっちへ行ったりする

 

若狭にも逸見氏がおり、前から気になっていたので

「若狭武田氏と家臣団」という本を手に入れ読んでみた。

安芸武田氏が若狭守護を受領した時に一緒に若狭に同行し

た一族らしく
 ・安芸の深沢逸見である説
 ・甲斐で武田氏に被官した逸見説
の2つの説がありよくわからないらしい。

東京大学史料編纂所のデータベースには、
逸見系図(若狭)
 信継ー師満(又三郎)ー朝之(又三郎)
とある。

信継は、又二郎義継の二男信継だとすれば、その下は泰継、

師信、隆信、光継となり、

師満はいない。よくある間を省力か?

太平記の天龍寺供養の部分に逸見源太と共に又三郎という

人物がおり、朝之といわれており、同一人物か?

若狭の逸見は、真正、宗見、国清、繁経、昌経という人物

がいるようである。(通字がないのが気になる)

 

同族なのかどうかは、資料が少なくよくわからない

 

今週末に井原市の芳井歴史民俗資料館で「備中・備後 国

境の国人・土豪たち」の企画展を見に行く予定。

うちのことはないだろうけど(笑)

 

今日はここまで