久々に少し書いてみる
自分が吾妻鑑で不思議というか、おかしいなと思うところ
治承四年十月小十三日壬辰の部分、治承・寿永の乱の戦いのひとつ「鉢田の戦い」の記載。
大体の書き物では『武田太郎信義。次郎忠頼。三郎兼頼。兵衛尉有義。安田三郎義定。逸見冠者光長。河内五郎義長。伊澤五郎信光等』と記載される(現代語訳されている)
で、「河内五郎義長」の記載
どこかで見た原文らしきものは、義長だけだったような気がすること
そして、実際の名は河内五郎長義が正しいこと
ちなみに光長の三男に義長がいる
どうなのかね~?
(ちょっと補足)逸見三郎義長のこと
・逸見光長の三男
・深津氏を名乗っている
・成木氏族の小原義範の母が義長の娘
・二男時義が実は頼朝の子で和賀氏に養子に入った(たぶん作文)
