だいぶ間が空いてしまいましたが
その間、5月の連休に北杜市の逸見神社と清光寺、御坊市の道成寺へ行ってきました。その時のことはまた後日。
さて、脇差しのことについて、まとめておこうと思います
銘は「祐定」、長船で修業後倉敷辺りに住んで居た刀匠らしい
作者から作は1600年代前半
柄や鞘には、螺鈿の粉が撒いてあり、銅の上に金メッキを施した錨(イカリ)、千鳥、雨竜の象嵌が施してある
来歴を推定してみる
領地が毛利氏と幕府で分割され、本家を2つに別けていく際に、こちらは士族の身分を捨てる形となるため、贈られたものであると思われる。
この時期はまた毛利氏に仕えていたため、毛利氏の本拠地へ行くにはおそらく高梁川を下り倉敷から山陽道(西国街道)や瀬戸内の海路を使っていたとすれば、倉敷で作成を依頼することができる。
後に私の家が予備本家として創られた時の初代である逸見資義が、その証として渡されたか、所望したかは不明ではあるが、今に伝わることとなった。
そして、この脇差しは葬儀の時のお守り刀として使用されたため
ほぼ人目に触れず保管できたのかもしれない。
仮に本家にあった場合、保存はされてなかったかもしれない。
今回はここまで、次からはGWの甲斐、紀伊の旅について書いていきます。