新しい自分のはじまり
飛行機でもゆったりなフライトを楽しみ、
昨日、無事、ホノルル着きました。
入国審査では、ちょっとしたトラブル?が
あったものの、
すぐさまチャンスと思い、
そのバイブレーションを手放したのが
効いたかどうかは判らないが、
別室に連れて行きかれることもなく、
無事入国することができた。
その後、ハワイ島への乗り継ぎ便に
チェックインしようとして、
道に迷っている自分を発見。
また、そんなバイブレーションは不要だと思って
地図を眺めていると、
現地の方が優しく声をかけてくれて、
ハワイアン航空はどこですか?との答えに
エレベーター乗って2階だと回答。
なるほど、どうしても見つからないはずだ。
と変に納得した。
何か問題が起こったとしても、
あわてることなく、
それはチャンスなのだ、
と落ち着いて、バイブレーションをリリースする
ただ、これだけでも、本当に自分自身に
向かっているような気がする。
不安はより大きな自分自身に気付くための
扉に過ぎないということを。
更にここハワイ島はとってもスローライフな島。
滞在先は、とってもスローな生活ができる環境で
本当に自然が豊かなところだと感じるところ。
たった数ヶ月前のことだが、
ハワイ島に旅行していたときの
なつかしさが自分の中から湧き上がって、
ただ、ここに居るだけで、
ただ、それだけで、
とっても心地よいと感じます。
本当にハワイ島に来て良かった。
昨日、無事、ホノルル着きました。
入国審査では、ちょっとしたトラブル?が
あったものの、
すぐさまチャンスと思い、
そのバイブレーションを手放したのが
効いたかどうかは判らないが、
別室に連れて行きかれることもなく、
無事入国することができた。
その後、ハワイ島への乗り継ぎ便に
チェックインしようとして、
道に迷っている自分を発見。
また、そんなバイブレーションは不要だと思って
地図を眺めていると、
現地の方が優しく声をかけてくれて、
ハワイアン航空はどこですか?との答えに
エレベーター乗って2階だと回答。
なるほど、どうしても見つからないはずだ。
と変に納得した。
何か問題が起こったとしても、
あわてることなく、
それはチャンスなのだ、
と落ち着いて、バイブレーションをリリースする
ただ、これだけでも、本当に自分自身に
向かっているような気がする。
不安はより大きな自分自身に気付くための
扉に過ぎないということを。
更にここハワイ島はとってもスローライフな島。
滞在先は、とってもスローな生活ができる環境で
本当に自然が豊かなところだと感じるところ。
たった数ヶ月前のことだが、
ハワイ島に旅行していたときの
なつかしさが自分の中から湧き上がって、
ただ、ここに居るだけで、
ただ、それだけで、
とっても心地よいと感じます。
本当にハワイ島に来て良かった。
自分自身への問い合わせ
一昨日、クラス受講で東京にいた真木子から
電話でこんな問い合わせがあった。
折角なので、この話をシェアしてみようと思う。
「宇宙にはポジティブもネガティブという
バイブレーションという位置付けはないよ。
だから、そんなの気にせずに統合した方がいいよ。」
というもの。
確かにそうなのだが、この内容にちょっと
自分では引っかかる部分がある。
宇宙意識でのバイブレーションは、
本当に「ド」や「レ」や「ミ」くらいの違い
でしかない。
ただ違うということだけだ。
だけれども、この物理次元にいる意識では、
やはり、ポジティブ・ネガティブなバイブレーションを
感じるはずだ。
統合してそのバイブレーションを手放さない限り
感じないわけないのだ。
前の記事でも書いたように、
ネガティブなバイブレーションを使い出すと、
ネガティブなことが鏡として顕現化することは
理解できていると思う。
これは、バシャールも言っている。
魂のブループリントのメカニズムに従って、
現実の経験を創造していくということを。
このパーソナリティのプリズムを通したときに
観念(信念)・定義が
感情・思考に作用し
そして、それが行動・反応として、
その人固有の波動の作られることになる。
ポジティブ・ネガティブという違いは、
その人の感情の部分で、
観念(信念)のフィルターを通してときに
それが「心地いいもの」「心地よくないもの」
という違いが出ているということである。
これは、観念(信念)・定義が感情に作用した結果であり、
その観念(信念)の上では、そのような感情として
作用したということである。
これは、エイブラハムの教えでもそう言われているので、
ご存知の方もいるだろう。
彼らの言葉では、「感情の誘導システム」と呼んでいる。
つまり、観念(信念)を変えない限り、
ネガティブなものは、ネガティブであることを感じ、
ネガティブなバイブレーションを共振してしまう結果となる。
そして、そのことによってネガティブな行動をとってしまい
ネガティブな現実の経験をしてしまうということになる。
私は、このことに着目をしているので、
あくまで、手放すものの優先度としては、
ネガティブに感じるものを最優先課題としている。
どうして、そういう部分に着目しているかというと
自分のハイヤーセルフへ問い合わせて
そのような答えを得られているからだ。
そう、その部分でもちょっとしたアドバイスがある。
私も、あやこさんは凄いと思うし、尊敬をしている。
しかし、そういう彼女の言っている言葉を
そのまま信じているわけではない。
何故なら、それは彼女自身の宇宙であり、
私の宇宙で適用できるかどうかは、
自分自身へ問い合わせる必要があるからだ。
だから、自分自身のハイヤーセルフに聞いてみて
それが自分にとって、本当にそうなのであるかを
聞いてみるという行為を行っていってほしい。
これは、誰だから信じる信じないのではなく、
あくまで、あなた自身の宇宙はあなた自身が
その答えを持っているからだ。
また、自分自身で選択するという行為は、
物理次元の意識だけで行うのではなく、
高次意識との共同作業であるということを
感じてほしい。
そう、人生とは物理次元の意識と高次意識の
共同運航なのだ。
そして、両者がお互いに作用して、
自分自身の宇宙を創っている。
あなた自身の宇宙は、あなたそのものであり、
自分自身で考えているよりも、
より偉大な存在であることを
認識していってほしい。
電話でこんな問い合わせがあった。
折角なので、この話をシェアしてみようと思う。
「宇宙にはポジティブもネガティブという
バイブレーションという位置付けはないよ。
だから、そんなの気にせずに統合した方がいいよ。」
というもの。
確かにそうなのだが、この内容にちょっと
自分では引っかかる部分がある。
宇宙意識でのバイブレーションは、
本当に「ド」や「レ」や「ミ」くらいの違い
でしかない。
ただ違うということだけだ。
だけれども、この物理次元にいる意識では、
やはり、ポジティブ・ネガティブなバイブレーションを
感じるはずだ。
統合してそのバイブレーションを手放さない限り
感じないわけないのだ。
前の記事でも書いたように、
ネガティブなバイブレーションを使い出すと、
ネガティブなことが鏡として顕現化することは
理解できていると思う。
これは、バシャールも言っている。
魂のブループリントのメカニズムに従って、
現実の経験を創造していくということを。
このパーソナリティのプリズムを通したときに
観念(信念)・定義が
感情・思考に作用し
そして、それが行動・反応として、
その人固有の波動の作られることになる。
ポジティブ・ネガティブという違いは、
その人の感情の部分で、
観念(信念)のフィルターを通してときに
それが「心地いいもの」「心地よくないもの」
という違いが出ているということである。
これは、観念(信念)・定義が感情に作用した結果であり、
その観念(信念)の上では、そのような感情として
作用したということである。
これは、エイブラハムの教えでもそう言われているので、
ご存知の方もいるだろう。
彼らの言葉では、「感情の誘導システム」と呼んでいる。
つまり、観念(信念)を変えない限り、
ネガティブなものは、ネガティブであることを感じ、
ネガティブなバイブレーションを共振してしまう結果となる。
そして、そのことによってネガティブな行動をとってしまい
ネガティブな現実の経験をしてしまうということになる。
私は、このことに着目をしているので、
あくまで、手放すものの優先度としては、
ネガティブに感じるものを最優先課題としている。
どうして、そういう部分に着目しているかというと
自分のハイヤーセルフへ問い合わせて
そのような答えを得られているからだ。
そう、その部分でもちょっとしたアドバイスがある。
私も、あやこさんは凄いと思うし、尊敬をしている。
しかし、そういう彼女の言っている言葉を
そのまま信じているわけではない。
何故なら、それは彼女自身の宇宙であり、
私の宇宙で適用できるかどうかは、
自分自身へ問い合わせる必要があるからだ。
だから、自分自身のハイヤーセルフに聞いてみて
それが自分にとって、本当にそうなのであるかを
聞いてみるという行為を行っていってほしい。
これは、誰だから信じる信じないのではなく、
あくまで、あなた自身の宇宙はあなた自身が
その答えを持っているからだ。
また、自分自身で選択するという行為は、
物理次元の意識だけで行うのではなく、
高次意識との共同作業であるということを
感じてほしい。
そう、人生とは物理次元の意識と高次意識の
共同運航なのだ。
そして、両者がお互いに作用して、
自分自身の宇宙を創っている。
あなた自身の宇宙は、あなたそのものであり、
自分自身で考えているよりも、
より偉大な存在であることを
認識していってほしい。